雪ヶ谷八幡神社

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 千束八幡神社に程近い雪ヶ谷八幡神社は、大岡山方面から伸びてきた台地の崖下に位置している。東急池上線石川台駅前の小さな商店街にスッポリと納まっている小さな社だ。

 境内の「社誌」を読んでみる。すると意外にも新しい社であることがわかった。新しいといっても、八幡社としては、ということであり、創建は戦国時代である。

 永禄年中というから西暦1558年から1570年の間のことであるが、当時この地を支配していた戦国大名北条氏康の家臣太田新六郎という者が、巡回の途中に当地で法華曼荼羅の古碑を発掘したという。その「奇瑞」により八幡大菩薩を祀ったそうだ。八幡神社の創建に戦国武将が関わっているというのは、新しいパターンである。千束八幡神社を訪れた後に、ついでのような形で訪れた雪ヶ谷八幡神社であったが、同じ八幡神社でも全く性質の異なるものであった。

 ところで、発掘された「法華曼荼羅」というのは、日蓮宗の曼荼羅ではないだろうか。法華曼荼羅とは法華経の世界を表したもので、法華経は日蓮宗で最重要視される経典である。荏原では、八幡社に触れても日蓮宗が登場してくる。

 それにしても、法華曼荼羅と八幡大菩薩はどのような関わりがあるのだろうか。戦国武将が創建したから、単に武神を祀ったというだけなのだろうか。

 当社は江戸時代になると、近隣に創建された円長寺・長慶寺が隔年で別当に就いたという。両寺はもともと、碑文谷法華寺の末寺とされる。

 碑文谷法華寺とは、現在の円融寺のことだ。円融寺は今でこそ天台宗であるが、以前は日蓮宗の寺院であった。しかし、日蓮宗の中でも禁制となった不受不施派に属したため、江戸幕府により天台宗に改宗させられてしまった。このため、末寺であった円長寺・長慶寺は池上本門寺の末寺へ編入されることとなった。

 ということはやはり、この雪ヶ谷八幡神社は日蓮宗と深く結び付いているということである。そういえば、碑文谷法華寺(現・円融寺)の近くにも、碑文谷八幡神社という八幡社がある。八幡社と日蓮宗寺院の関係というものも、これからは考えていく必要があると思う。

 明治時代になると、神仏分離令により円長寺・長慶寺と当社の関係はなくなる。今、雪ヶ谷八幡神社は小ぢんまりとしていて、村の鎮守といった風情である。私が訪れた六月半ばには、大祓の案内書きが境内にひっそりと出ていた。


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by ebara_explorer | 2007-07-06 22:04 | 八幡宮めぐり
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