中原街道石橋

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 雪ヶ谷八幡神社を見学した後、東急池上線の石川台駅前を通り過ぎ、中原街道沿いに出た。街道沿いを少し西へ向かえば呑川とぶつかる。あとは川沿いにさかのぼれば、地元に戻れる。ただ、この日はすでに、暑い中をけっこう歩いていた。午前中は池上から馬込、午後は電車で大岡山に移動した後、洗足池から千束八幡神社、雪ヶ谷八幡神社と回ってきた。さすがに少し疲れも出てきた。また、見学も充実したもので、もはやこれで史跡巡りは一旦打ち止めだと思っていた。

 ところが、呑川の手前の横断歩道で中原街道を渡ると、交差点の脇に史跡の案内板らしきものが見えてきた。おやっと思って良く見ると、近くに石碑のようなものがある。間違えなく史跡だ。

 史跡巡りには二つの楽しみがある。一つは、事前に予習してきた史跡を見学することである。予備知識があることで、見学は深いものになる。やっぱりそうだったか、とか、こんなこともあるのか、と得られるものは大きく、楽しくなってくる。 

 もう一つは、事前に予習していなかったものに偶然出会うことである。こんなところにこんなものがあったのか、という驚きとともに喜びも得られる。また、それが自分の予習してきたものと密接に関わっていたりして、見学の中身がさらに濃くなるという効果も出てくる。

 この日はその二番目の楽しみを、すでに味わっていた。洗足池を出たところで出会った九品仏みちの道標である。この道標を見つけたことで、大きな喜びを得ていた。それ以外にも予定していた史跡をしっかりと見学してきたし、もう飽和状態になっていた。

 そこに来て、またこの予期せぬ史跡の登場である。もう頭はいっぱいだ。案内板と石碑が目に入ったとき、私は思わず苦笑いしてしまった。まだ出てくるのか、という思いであった。

 しかし、見逃すことはできないと思ってしまう。また来ればよいのに、近いからいつでも来られるのに、ついつい寄って行って見てしまう。

 案内板によると、この石碑は「石橋供養塔」というそうだ。江戸時代の安永三年(1774)に、雪ヶ谷村の浄心らが石橋の安泰を祈って建てたという。石橋とは呑川を渡る中原街道に架かっていた橋のことだ。今、呑川に架かっているのはコンクリートの橋である。

 供養塔の正面には「南無妙法蓮華経」と刻まれている。また日蓮宗の題目だ。側面には円長寺の住職日善の署名と花押があるという。円長寺とは、先の雪ヶ谷八幡神社のところで出てきた、この近くにある日蓮宗寺院である。荏原の歴史を旅する私に、日蓮宗は「これでもか」というくらい付きまとってくる。

 この石橋供養塔は、石橋の無事と通行人の交通安全だけを祈念したという意味で貴重なものだという。でも私にしてみれば、今ここで出てきてほしくなかったなあという史跡であった。

 溢れんばかりの史跡巡りの成果を背負いながら、私はとぼとぼと呑川沿いの帰途に就いた。

写真:石橋供養塔(右側)と、現在の呑川に架かる石川橋(左奥)


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by ebara_explorer | 2007-07-06 22:18 | 石造物
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