道々橋八幡神社

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 八幡宮めぐりは尚も続く。東部八幡神社から本光寺を経てライラック通りへ戻り北へ向かう。すると、信号のある交差点の角にまた庚申塔があった。庚申塔は辻に多いなと思う。

 この交差点から田園調布駅行きのバスが通る道へ入って行くと、次に訪れるべき八幡神社がある。道々橋八幡神社という。「道々橋」を何と読めば良いのかわからなかったが、近くに同名のバス停があり、ふりがなが振ってあった。これは「どどばし」と読むようだ。

 「どど」という響きが頭の中に繰り返されつつ境内へと進む。さほど広くない境内だが、公園が併設されている。ただ人影はなく、どんよりとした空の所為もあって陰湿な感じがした。
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 社殿にお参りした後、由緒書きの案内板がないか探したが見当たらなかった。どのような由緒がある八幡神社なのかわからず、困惑してしまった。

 疑問を残しつつ、バス通りから一本向こうの通りへ出ると、樹林寺という寺がある。言うまでもなく日蓮宗の寺院である。どうもこの辺りの八幡神社は、いずれも日蓮宗の寺とセットになっているようだ。そしてかつては、日蓮宗の寺が八幡神社の別当になっていたと考えられる。

 ひっそりとした樹林寺の境内に大田区教育委員会の案内板を見つけた。日蓮上人坐像に関する案内であった。この寺に、寛文十二年(1672)に造られた日蓮上人坐像があるという。これは像底に墨書銘があるためで、その署名から作者が碑文谷法華寺の日禅であったことがわかるという。

 碑文谷法華寺とは、現在の円融寺である。この寺はもともと日蓮宗不受不施派の寺であったが、江戸時代に幕府の弾圧を受け改宗されてしまっている。不受不施派がどういう宗派で、何故弾圧を受けたのか、まだ私は勉強不足だが、荏原の歴史として抑えなければならない重要なポイントであると思う。

 寺を出ると、すぐ目の前に橋があった。呑川に架かる道々橋である。小さな橋であった。八幡神社の名の由来になっているのであろうが、どういう意味なのだろうか。道と道が交差していたとか、そんなイメージしか浮かばなかった。私の頭の中に、再び「どど」という響きが繰り返された。

 後日、道々橋八幡神社の由緒について調べてみたが、よくわからなかった。はっきりしたのは、江戸時代ここに道々橋村という名の村があり、八幡神社がその村の鎮守になっていたということである。


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by ebara_explorer | 2007-07-24 15:16 | 八幡宮めぐり
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