子安八幡神社

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 道々橋八幡神社に参った後、呑川の道々橋を渡り、北へと向かった。この辺りは小さな工場の多いところである。バス通りから路地に入ると、鬱蒼とした杜が見えてきた。ここが子安八幡神社である。道々橋八幡神社とは、呑川を挟んで対峙するような位置にある。

 木立は深く、曇り空の所為もあるが昼なお暗いという表現がぴったりの森閑さであった。急な崖面を石段で上って行く。呑川の谷に面したこの崖面は湿っぽく、汗でベタベタしていた体がジメジメとしてきた。

 それにしてもここの石段は急すぎる。崖のあちこちに「ここで遊んではいけません」という神社の注意書きが出ていたが、これは暗くて物騒だから遊んではいけないというのではなく、石段があまりに急で危険だから遊んではいけないのだと思い至った。
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 ここまでだいぶ歩いてきた私には少しきつい石段だったが、上り切ると空が明るくなって、正面に拝殿があった。参った後、由緒書きを探したが、ここにもそういったものはなかった。子安八幡神社という名称から、創建には子宝や子供の成育に関わるような願いが込められているように思った。

 恐る恐る石段を下り、崖の下に戻る。そして木立から抜けると、東側に林昌寺という日蓮宗の寺院がある。この八幡神社も、お寺とセットになっている。考えてみると、この日巡った八幡神社には、いずれも東側、つまり池上本門寺に近い方にお寺がある。かつて八幡神社は本門寺の配下にあったように思われる。

 境内に由緒書きはなかったが、後日東京都神社庁のホームページにこの子安八幡神社の由緒書きを見つけた。それによると当社は、康元元年(1256)に池上宗仲が鶴岡八幡宮を勧請したのが創始とされている。そのときは池上山(現在の池上本門寺境内)に建てられたという。それが天正九年(1591)に遷座され、現在地に移ったそうだ。

 池上宗仲は鎌倉時代、池上に館を構えていた武士である。つまり、この八幡神社は、鎌倉武士が守護神として自身の本拠に八幡神を勧請し創建されたものだ。今までに訪れた八幡神社とはまた異なる種類の由緒を持つ社であった。


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by ebara_explorer | 2007-07-26 15:49 | 八幡宮めぐり
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