瘡守稲荷神社

 荏原の史跡めぐりは自在である。思い立ってふと好きなところへ出かけることができる。前後の脈絡はない。好きな順に好きなところへ行けば良い。

 この日は二子玉川へ出かけた。二子玉川周辺にも名所旧跡が点在している。まずは駅前の玉川通りを北へ向かう。左から高架橋が寄って来た辺りで、通りは小さな川の流れとぶつかっている。丸子川という。この川沿いが今回の目的地である。

 玉川通り沿いの歩道から階段を下りて丸子川の流れに行き着く。細い川は、夏の日差しの下で淀んでいた。川に沿って西へ歩き、一つ目の橋を渡って北へ向かう。川から離れれば、道は上り坂となる。上り始めると余計に暑く感じられる。熱せられたアスファルトがむんむんとしてくる。

 左手に社が現れた。瀬田玉川神社という。玉川神社と名乗る社は、多摩川沿いにいくつかある。お互いが関係しているのかどうか、まだ調べてはいない。暑いのでともかくも木立のある境内へ入る。

 高台にあるこの社の南側が、丸子川そして多摩川へ向かった斜面になっている。本来ならば多摩川の広い河原を見通すという眺めになるはずだが、今は境内のすぐそばまでぎっしりと住宅が建ち並んでいる。川の流れはまったく見えなかった。

 暑さの余り癒えないまま裏手から境内を抜けると、慈眼寺という小さな寺が隣接していた。ちょうど参道の工事をしていて中へ入りづらかったので、そのままやり過ごしてしまった。後で知ったことだが、この寺は中世からの歴史をもつ古刹であった。惜しいことをした。

 寺の前の細い路地を抜けて辻に出ると、庚申塔があった。瀬田四丁目十一番地の角である。辻に庚申塔は付き物であるが、予期せぬところで出会ったので急に嬉しくなる。
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 二基の庚申塔のほかに「笠付庚申塔」と書かれた碑が建っていた。見ると大きな方の庚申塔には確かに笠が付いている。このような庚申塔を見るのは初めてだ。小さい方の庚申塔には「享保」の年号が読み取れた。荏原の庚申塔ではよくこの「享保」の文字を見かける。享保年間は庚申塔建立のブームだったのだろうか。

 道をさらに北へ向かう。目指すところはお稲荷様である。しばらく行くと信号のある角が見えてきた。そこが「稲荷神社前」という交差点だ。この手前の左側に稲荷神社はある。瀬田四丁目三十二番地にあたる。

 狭い境内は街角の児童遊園のようになっており、すべり台などがある。そして一番奥に社殿が小ぢんまりとある。公園の一角にお稲荷様があると言った方が良いかもしれない。
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 社の名を瘡守稲荷神社という。読み方がよくわからなかったが、境内には「かさ守稲荷神社」という案内板が出ていた。「かさもり」と読むのだろう。

 地図上で見つけたときから珍しい名だと思っていたが、いったいどのようないわれがあるのだろう。境内には何の案内もなかった。ただ、瘡は「きず」とも読む。お参りすると傷が治るとか、そういういわれが想起された。



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by ebara_explorer | 2007-08-01 22:53 | お稲荷様
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