品川歴史館

e0123189_23304829.jpg

 以前から行きたいと思っていた品川歴史館を訪れた。ここは品川区の郷土資料館である。荏原にある郷土資料館の中では一番充実しているところであると言える。場所は大井町駅と大森駅の中間地点くらいにあり、私は大井町駅から暑い中を歩いて行った。

 建物は新しく、館内の展示もきれいであった。冷房が良く効いていて、誰もいない展示室でその冷気を独占しながら歴史に触れられるのは、気分が良かった。

 品川の歴史というと、やはり東海道品川宿がメインである。一階の常設展示室では、その品川宿の模型が展示の中心となっており、それを取り囲むようにして編年の展示が並んでいた。

 私が注目したのは品川宿ではなく、自分が興味を持っている中世の展示である。中世の品川は、関東でも有数の港町として繁栄していたということである。その様子は、明徳三年(1392)の『湊船帳』で窺い知ることができる。中世の品川に船の出入りがかなりあったことがわかる。この文書の複製が展示されていた。

 また、現在は閑静な住宅地として知られる御殿山は中世、船が航行する際の目印となる「当て山」であると同時に、霊場でもあったと説明されていた。御殿山からは、14世紀から15世紀にかけての板碑、五輪塔、宝篋印塔、人骨などが見つかっているという。それらは法禅寺というところに祀られているそうだ。中世の霊場は都市の周縁部にあったとされるが、御殿山も中世港町品川の周縁部に当たるのだろう。

 中世の展示で他に目を引いたのが「円融寺金剛力士像胎内納入木札」だ。目黒の碑文谷にある円融寺の金剛力士像から見つかった札である。永禄二年(1559)の銘があるという。そこには「武州荏原大井之内碑文谷村」と書かれている。大井とは、ちょうどこの大井町のある辺りを指すのだろう。内陸の碑文谷村が「大井之内」とされていたのは興味深い。解説によれば、当時の大井は立会川沿いに発展していたためその水源地に当たる碑文谷が大井に属していたのだという。川による地域のつながりを知ることができた。

 江戸時代の展示はどうしても宿場のことが中心だが、私はそれ以外に注目した。品川宿というと、江戸の町の中に入っているようで、荏原という立場から歴史を見ている私には扱いづらい。品川宿にはまると、そのまま江戸の町に引きずりこまれそうな気がする。

 それでまず見たのが漁業についてである。品川には江戸時代、江戸城御用の鮮魚を納める八ヶ浦のうち、品川浦と大井御林浦の二つがあったという。品川と漁業といっても今ではピンと来ない。海苔の生産もあったそうだ。それから農業では、寛文九年(1669)に品川用水の開かれたことが大きな画期となり、タケノコ、長ネギ、ニンジンといった特産物が生まれたという。こういう側面を知ることが、荏原をめぐるときには役立つように思う。

 江戸時代の信仰についての展示もあった。信仰は最近私が特に注目しているものなので目を引いた。それによると品川では、内陸においては庚申講が最も行きわたった信仰であり、沿岸においては富士講、大山講など、山にある神社に参詣する山岳信仰が盛んであったという。この違いを知っておくことは、これから荏原をめぐる際に重要なポイントとなるだろう。

 こうやって展示を見ることで、私はかなり刺激された。いろいろと行きたいところも出てきた。これからの史跡めぐりがさらに面白くなってきそうだ。



にほんブログ村 歴史ブログへ

にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ
[PR]
by ebara_explorer | 2007-08-25 23:33 | その他
<< 宇佐神社 田園調布八幡神社 >>