宇佐神社

 丸子川沿いの旅を続ける。今度は東急大井町線の尾山台駅から歩いた。駅前から線路沿いを九品仏駅方面へしばらく行き、それから南へ下る。道はやがて環状8号線にぶつかる。アスファルトに塗り固められた広い路面が強い日差しを照り返していて、ムワンとしてくる。尾山台は荏原の中でも標高が高いところで、45メートルくらいあるという。

 環状8号線を越えると、道は下りになる。この坂を「寮の坂」という。坂のてっぺんに道標があった。道が二股になっており「左 籠谷戸 右 多摩川」とある。左の「籠谷戸」とは、先日訪れた田園調布八幡神社のある辺りだ。ここに来て、前回の旅とつながってきた。この辺りは田園調布八幡神社よりも丸子川沿いを少し上流へ遡ったところにある。

 道標の裏に「寮の坂」の案内板があった。坂の名は、もともと坂の上の台地上にあった伝乗寺に、学寮があったことに由来するという。学寮のあったということはかなり大きな寺であったと考えられる。現在、この伝乗寺は坂の下にある。伝乗寺からは正和五年(1316)銘の板碑が出土していることから、その歴史は古いという。
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 案内板には籠谷戸に関する記述もあった。それによると、室町時代に奥沢城主であった大平出羽守が、多摩川上流から運ばれた武器・兵糧を、籠谷戸からこの寮の坂上あたりに陸揚げし城へ運び入れていたと伝えられているという。奥沢城は現在の九品仏浄真寺の辺りにあったはずだ。中世における籠谷戸の重要性をさらに知った。

 また江戸時代には、伝乗寺が川崎泉沢寺と九品仏浄真寺の中間軍事拠点となっていたという。江戸時代に軍事拠点とは物々しい言い方だが、交通の要衝であったことは知られる。

 ここから急坂を下って行くと、坂下の家並の向こうに多摩川の向こう岸が望まれる。川崎市である。そして坂の途中の右手には神社がある。ここが今回の目的地である。

 社の名を宇佐神社という。宇佐といえば、八幡宮のおおもとである宇佐八幡宮が想起される。だから私はこの社を地図で見つけたとき、八幡神社に違いないと考えた。実際、すぐ近くには「はちまん橋」というバス停があるし、境内には「八幡塚古墳」なる史跡もある。だから「○○八幡神社」という名ではないけれども、私はこの神社を八幡宮めぐりのリストに入れていた。
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 木立を背負った社殿は南向きで、南側は眺望が開けていた。夏空が境内の上に広がっている。社殿と向き合うようにして、由緒書きの碑があった。見上げると眩しく読みづらかったが、何とか読み取れた。

 由緒書きによると、この神社の創建は源頼義であるという。源頼義が前九年の役で奥州へ向かう際にこの地を通ったとき、空に八つの雲がたなびき、それが源氏の白旗のようであったという。これに感嘆した頼義は、合戦の後この地に八幡神を祀ると誓い、前九年の役の後にこの社を創建したという。

 田園調布八幡神社の由緒に、籠谷戸付近に鎌倉との往還のあったことが書かれていたが、この宇佐神社の由緒からは、平安時代にも西国と奥州を結ぶ往還のあったことが窺える。だんだん荏原の中世が立体的になってくる想いであった。
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 境内のすぐ南には、伝乗寺本堂の大きな屋根が見えていた。宇佐神社を後にして伝乗寺へ行ってみた。
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 寺域は広くなかったが、本堂の前には小ぶりながらも五重塔があったし、南に回れば仁王門もあった。寺は浄土宗であった。「寮の坂」の案内に、九品仏浄真寺との中継拠点になっていたとあったから、九品仏浄真寺と同じ浄土宗ではないかと思っていたが、やはりそうであった。
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 寺からもう少し南側へ行けば丸子川に行き着くが、暑いので今回はこれで帰ることにした。アブラゼミの鳴く境内を出て、元来た道を戻る。坂を上りながら私は、今度は籠谷戸をもう少し歩いてみたいなと思った。



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by ebara_explorer | 2007-08-29 22:42 | 八幡宮めぐり
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