碑文谷厳島神社

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 荏原には幾筋もの川の流れがある。その流れの源は、大きな池であったり、湧き水であったりする。そしてそうした水辺には、弁天様が祀られている。弁天様は水に関わりの深い神様である。正確に言うと、弁天(弁財天)は本来仏教の神様である。それが神仏習合により、日本の神である市杵島姫命や宇賀神と結び付いたものである。だから弁天様は、市杵島姫命や宇賀神が祀られている神社である。

 ところで、人が生きていくために、水は欠かせないものだ。それは荏原の歴史を遡っても同じことである。特に近世以降、荏原が農地として拓かれてからは、その必要性が増しただろう。荏原の歴史において、水の在り方を考えることは重要だ。今に残る弁天様はその水の尊さの表れでもある。

 現代では、水道の蛇口をひねれば水が滔々と流れ、それをそのまま下水に流している。飲み水は、近所のコンビニでペットボトルのミネラルウォーターを買ってくる。水がどこから来て、どこへ流れて行くか、人々の関心は薄い。そして今、荏原の川の多くは暗渠となった。遊歩道として流路が辿れるところはまだしも、いつしか住宅や街の中に埋もれてしまったところもある。だがそれらを掘り起こし、水の歴史を辿ってみたいと思う。合わせて、弁天様の信仰も見ていきたい。


 まず訪れた水辺は碑文谷池である。現在は池の周囲が碑文谷公園となっている。公園の真ん中すなわち池の真ん中の島には、厳島神社が鎮座している。厳島神社といえば広島の宮島がすぐに思い浮かぶが、その宮島の厳島神社も水辺の神であり、日本三弁天の一にも数えられている。弁天様と「厳島神社」は密接な関係にある。
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 碑文谷池の厳島神社も弁天様が祀る社である。その弁天様は、江戸時代に碑文谷を知行していた旗本神谷氏が奉ったものだという。だが現在、神社に弁天様はいないようだ。境内の案内板には、近くの碑文谷八幡宮に仮安置されていると書かれている。というのも三年前、この神社の拝殿・本殿・社務所が放火に遭ったからである。幸いにして現在は建物が再建されているが、弁天様が戻ってきているかどうかはわからない。それにしても放火とは、本当に心ないことをするものである。やはり現代は、水を尊ぶ心に欠けていると思う。

 この碑文谷池は、立会川という川の源流の一つであった。目黒区南部から品川区を経て、東大井で海に注ぐ立会川はかつて、農業用水として重要な水脈であったという。現在、立会川が流路として地上に現れるのは河口近くのほんの一部である。それ以外は道路あるいは遊歩道となっている。そして源流であるこの碑文谷池から円融寺付近までは、流れの跡を追うことさえ難しくなっている。池は孤立したような形になり、もはや立会川とは無縁なように見える。しかし、源流の碑文谷池の弁天様は、下流までも含めて、立会川の水すべてを守る神様であると言えるだろう。その尊さを忘れてはならないと思う。



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by ebara_explorer | 2007-09-19 23:45 | 水辺
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