戸越八幡神社

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 戸越八幡神社は、東急大井町線戸越公園駅の駅前商店街から少し外れたところにある。七五三詣の幟がはためく社に着くと、鬱蒼とした木立に覆われた細長い参道が続いていた。幹が太く、古い木が多い。すでに夕方のこととて、参道は薄暗く、その奥にちらっと見える銅葺きの社殿が神々しくあった。参道の木々を見上げると上の方にはまだ斜陽が当たっており、葉が明るく浮かび上がっていた。
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 参道に入ってすぐのところにある由緒書きを読む。それによると戦国時代の大永年間(1521~1528)、この辺りにあった清水の池に面した庵に、行永法師という諸国行脚の僧が立ち寄りうたた寝をしていたところ、夢の中で清水の池から光が放たれるのを見たという。そこで行永法師が池の中を探したところ、誉田別命の御神体を見つけたので、庵に祀ったそうだ。すると近隣の人々や往来の人々が祈願するようになり、その願いは一つとして成就しないものはないといわれるほどになったということである。そこでこの庵は「成就庵」と呼ばれるようになったと記されている。このさまを歌った次のような古歌があるそうだ。

 江戸越えて 清水の上の 成就庵 ねがひの糸の とけぬ日はなし

この歌の「江戸越えて」が「戸越」の地名の起こりであるとのことだ。

 その後、江戸時代の元禄元年(1688)十二月十五日に、御神体が現在地である村の高台に移されたそうだ。

 これまで見てきた八幡神社の由緒では、源氏をはじめ武士の関わるものが多かった。この戸越八幡神社のように、由緒に武士が関わらないものは珍しいと思う。また、当初から民衆の信仰に支えられていた八幡さまであったことが窺える。

 参道を進んで社殿近くまで来ると碑があり、そこには先の戸越の由来となった古歌とともに、安政三年(1856)刊行の『江都名所図会』に載せられた二つの狂歌が紹介されていた。

 疱瘡を 守る戸越の八まんに 神子は笹湯を あふる御祭

 疱瘡の 守りにせんと諸人が 戸越の宮に ひろふ軽いし

神事で笹湯を浴びることや境内の石を拾っていくことが、疱瘡の治癒にご利益があるとされていたのだろう。参詣者が石を拾って行ったさまが思い浮かんだ。

 社殿は安政二年(1855)に創建されたものだという。社殿の中には江戸時代の年号を持つ絵馬が奉納されているそうだが、見ることはできなかった。お参りだけして引き返した。
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 社殿の前の狛犬に目が留まった。案内板によると、延享三年(1746)に奉納されたものだそうで、品川区内では最も古い狛犬だという。また、銘文から造立には戸越村や平塚の庚申講が中心となっていたことがわかるそうだ。庚申講というのは、庚申信仰だけではなく、いろいろな信仰の担い手となっていたことがわかる。狛犬を眺めていると、区内最古というせいか、顔つきが他の社で見る狛犬とは少し違ってきついような気がした。
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 参道を戻り、途中で右手の小径に入ると、幼稚園を併設した行慶寺というお寺があった。門前には勇ましい青面金剛の彫られた庚申塔が建っていた。狛犬の造立に関わっていた戸越村の庚申講が建てたものだろうか。
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 社に隣接した行慶寺は、かつて戸越八幡神社の別当であったという。ただし、荏原の八幡神社でよく見られるような日蓮宗の別当寺ではなく、阿弥陀様を本尊とする浄土宗の寺であるという。成就庵の信仰には阿弥陀信仰も関わっていたのだろうか。他の八幡神社とは少し異なる戸越八幡神社の信仰は、荏原の中でも興味深い信仰である。


 後日、インターネットで戸越八幡神社のホームページを見つけた。そこには神社の由緒沿革が掲載されていた。その中で、行永法師が誉田別命の御神体を祀った数十年後の文禄元年(1592)に、行慶寺を開山した念誉上人が成就庵に八幡神社を建立し御神体と共に本地阿弥陀仏を祀ったとあった。

 神仏習合思想の本地垂迹説によれば、八幡神の本地仏は阿弥陀仏とされている。そういえば以前、大きな阿弥陀堂のあるお寺の境内に小さな八幡神社が祀られているのを見たことがある。八幡神と阿弥陀仏は密接な関係にあると言える。行慶寺に阿弥陀仏が祀られているのも納得がいった。



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by ebara_explorer | 2007-10-27 12:24 | 八幡宮めぐり
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