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富士講燈籠

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 馬込は起伏の激しい土地だ。歩いていると頻繁に上ったり下ったりせねばならない。そんな馬込の道端に、立派な石燈籠が建っていた。教育委員会の案内標によれば「富士講燈籠」とのことであった。江戸時代後期の文政七年(1824)に、馬込村を中心とする富士講の人々によって建てられた常夜燈だという。よく見ると、燈籠には「富士大仙元菩薩」と刻まれている。この「仙元」は浅間神社の「浅間」に通じるのだろう。また、台石には富士の山容が象ってあった。
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 燈籠から、馬込に富士講のあったことが知れる。かつてこの馬込でも、高台から富士山を望むことができたのであろうか。

 燈籠の台石には、願主・世話人をはじめとする約二百人の人名が刻まれているそうだ。世話人には万福寺の名もあるという。万福寺は禅宗であるが、禅宗と富士信仰は関わりが深いのであろうか。

 かつて講の富士登山の折には、講中の人々が近くの北野神社に参籠してから、この燈籠の前で祈願をし、出発していったと伝えられているそうだ。講の信仰に禅宗の万福寺が関わっていたり北野神社が関わっていたりするのは面白い。その北野神社は燈籠から少し北へ行ったところにあったが、あいにく境内の造園工事中で入ることはできなかった。

 なお、燈籠の台石の銘文から、この富士講燈籠は品川と池上に至る道に道標として建てられたことがわかるという。荏原に残る道標に、この品川と池上という地名は良く出てくる。この地名が、これから荏原の古道を探っていくときのキーワードになりそうだ。



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by ebara_explorer | 2007-12-08 14:58 | 富士信仰
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