穴守稲荷神社

 地図上で荏原を眺めていると、いつしかお稲荷様の多いことに気付き、八幡宮めぐりとともにお稲荷様めぐりもしてみようと思い立った。そして、地図や資料を駆使して、荏原のお稲荷様リストを作っていった。リスト作りにはそのうち異様なまでに熱心になった。狐様に取り憑かれていたのかもしれない。気が付くと、荏原の中で見つけたお稲荷様の数はなんと138に上っていた。これはとんでもないことになった。すべてをめぐることができるだろうか。不安になってきた。 


 そんな中、荏原で最も有名な稲荷神社といえばどれだろうと考えた。それはやはり穴守稲荷神社であろう。京浜急行の駅名にもなっているし、かつてはかなり隆盛を極めた社のようである。それで、荏原のお稲荷様めぐりをしていく上で、早いうちに行ってみようと思い立ち、出かけた。

 穴守稲荷神社は江戸時代後期、現在の羽田空港敷地内にあった鈴木新田の堤防に穴があかないように田畑を守る神として祀られたのが始まりとされている。それまで鈴木新田では、暴風や津波のたびに堤防の空穴から海水が浸入して、大きな被害を受けていたそうだ。そこで、堤防の「穴を守る」という意味を込めてこの社が建てられたという。

 明治時代になると、地元の有志が社の振興策として公衆参拝の許可を得た。すると神社は、魚貝業者や花柳界、さらに一般の商売繁盛祈願の人々の間で大流行となったそうだ。広大な土地に社殿が新築されるとともに、海岸という場所柄にも恵まれて、海浜リゾートやレジャーとあいまって発展したという。その後、付近で鉱泉が掘り当てられたため、料亭や旅館、芸妓の置屋などが進出し、周辺は大繁華街となったそうだ。また京浜電車が社前まで乗り入れ、参道にはおびただしい数の茶店や土産物屋が並んでいたということだ。

 しかし昭和20年(1945)9月、進駐米軍によって現在の羽田空港一帯が接収されることとなったため、穴守稲荷神社は強制退去を命じられた。そのため近くの羽田神社へ合祀されてしまった。その後、現在地に再建されたが、もはや昔日の面影はないと言えるだろう。尚、現在も羽田空港内には大きな鳥居がかつての穴守稲荷神社の遺物として残っているという。


 現在の最寄り駅は京浜急行空港線の終点羽田空港駅から二つ手前の穴守稲荷駅である。今は空港へのアクセスを主目的としているこの路線も、その始まりは穴守稲荷神社参詣のためであったと言える。

 駅から神社までは少し距離がある。だが、駅舎を出るとさっそく目の前に紅い鳥居が見えてきた。有名な観光地みたいで、ちょっとうきうきしてきた。しかし、神社の方へ向かう道は狭かった。道が合っているのかどうかと不安になりかけたころ看板が現れ、あと100m程とのことであった。そのまま道を進んだが、境内の南側入口を通り過ぎてしまった。というのも、入口の鳥居に青い覆いがかけられていて、それと気付かなかったからである。この覆いは境内の一つを残して他の鳥居にもかけられていた。訪れたのは師走であったから、正月に向けて鳥居の朱を塗り直していたのであろうか。
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 参道を奥へ進む。境内は広い。と言っても、荏原の他の鎮守と同じくらいの広さではある。しかし、街中の小さなお稲荷様ばかり見てきた身からすると、稲荷神社としてはうんと広く感じられる。ただ、かつての繁栄が大きかっただけに、その殷賑も今はいずこであり、訪れる参拝客はまばらであった。それでも正月ともなれば大混雑になるのであろうか。
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 狐様に見守られながら正面の拝殿にお参りを済ませ、拝殿の右手に回ると、紅い鳥居がぎっしりと立ち並んでいた。こういうところはいかにもお稲荷様らしい。
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 恐る恐る鳥居の暗闇を潜り抜けて行くと、奥の宮(お穴様)があった。拝殿前の案内板によれば、ここの砂を持ち帰ってまくと、営業繁昌、家内安全、病気平癒等の神徳が得られるとのことであったが、そこにはおびただしい数のミニチュアの鳥居が奉納されていた。こういうものを見ると、人々の祈りというものがグッと伝わってくる。
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 奥の宮の裏手にはさらに道が続いていた。細いところへ入って行くと、岩山のようになっていた。途中には「福徳稲荷社」や「幸稲荷社」といった小さな祠が並んでいる。その一つ一つへ丁寧にお参りして行く人の姿も見られる。どれもめでたい名なので、私もついつい手を合わせて行った。まるで巡礼のようである。
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 そして上り詰めたところには何と御嶽神社があった。これはお稲荷様とはまた別物である。何を意味するのであろうか。そういえば道の途中には富士講碑のようなものもあった。それは御嶽講のものであったのだろうか。どうやらこの奥の宮は穴守稲荷神社がこの地に遷座される前から存在していたようである。奥の宮は、そうした以前からの信仰と、新しい穴守稲荷の信仰が複雑に絡み合っているのではないだろうか。
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 参道を引き返して南側の入口近くまで来ると、また別の碑を見つけた。いくつかの碑には「宝珠講」と書かれていた。これはどんな講なのであろうか。いろいろと興味深い穴守稲荷神社であった。

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by ebara_explorer | 2008-02-08 20:49 | お稲荷様
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