玉川弁財天

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 穴守稲荷神社の南に弁財天があるのを地図で見つけた。弁財天も水辺の史跡として訪れているから、気になる存在である。その場所は多摩川の河口近くでもある。

 稲荷神社を出て、住宅街の中の道を抜けて弁財天へと向かう。弁財天のある多摩川の河口付近は荏原の端っこである。そこへ近付くうち、何だかずいぶん遠くへ来たような気がしてきた。そして、大げさかもしれないが、世の果てに近付くような気分にもなってきた。

 川べりに出た。川とも海ともつかぬ広い水面のすぐ向こうにすぐ、羽田空港の施設が見えている。東京の先端だ。
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 玉川弁財天は、川沿いの堤防の下にひっそりとあった。堤防上から、紅く塗られた階段を伝って下りて行く。弁財天に隣接して、水神社という小さな社がある。かつて羽田にいた漁民が、漁場である海上の安全や、大漁を祈願していた神社であるという。水波乃咩命が祀られているが、草創などに関する由緒は明らかでないそうだ。小さな社殿の前に、白く塗られた鳥居が立っている。それが何となく海の神らしかった。そしてこの地もともと、水神社の境内である。玉川弁財天は、ここへ移されてきたものである。
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 玉川弁財天はそもそも、要島という、今は羽田空港の敷地になっているところにあった。それが穴守稲荷神社と同様、昭和20年(1945)に強制退去させられたため、現在地に移されたという。
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 この弁財天には、江ノ島にある弁財天と同体で弘法大師作の本尊を祀っているとか、多摩川上流にある弘法大師開創の日原山から霊光を発する宝珠が流れて来て、この辺りに止まっていたのを土地の人が祀ったといった言い伝えがある。

 弁財天の堂のところにもいわれを記した手書きの案内板があり、それによると、ここに祀られている弁財天には弘法大師「空海作」という銘があるそうだ。また弘法大師が護摩の灰を固めて刻んだものだという言い伝えもあるとのことだ。どの説をとっても弘法大師が出てくるということは、真言密教に関わっているのだろう。

 案内板には、ここの弁財天は広島の厳島神社、江ノ島の弁財天と並び日本三弁天の一つであると誇らしげに書かれていた。これまで私が荏原で見てきた弁財天は、いずれも内陸の水源に祀られたものであったが、ここの弁財天は、海に関わるものであると言える。そういう意味では、少し異質な弁天様である。

 弁財天は小ぢんまりとしているがどっしりとした堂であった。水神社のところには鳥居があるが、こちらにはないから「社殿」ではなく「堂」と言って良いのだろう。お参りをするときも、拍手は打たなかった。
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 堂の右手には小さな池があり、真ん中には祠があった。音がするので近寄ってみると、カメがのそのそと動いていた。
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 再び堤防の上に出て、羽田空港の方を眺めた。玉川弁財天はもともと羽田空港の敷地内にあったという。だから、これから羽田を飛び立つときは、必ずこの弁財天に想うようにしようと私は思った。



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by ebara_explorer | 2008-02-17 17:28 | 水辺
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