駒留八幡神社

 八幡宮めぐりとして、荏原に見つけた八幡神社のうち、すでに半分以上の二十社あまりをめぐった。今年のうちには、残りの八幡神社も訪れたいと思う。そこで残った社のうち、まずは比較的家から近いところへ行ってみることにした。

 環七通りが玉川通りと交差する上馬から北へ向かうと、通りは下り坂となる。下りきったところが駒留陸橋である。ここでは蛇崩川という小さな川を跨いでいる。そこから若林へ向かう途中の左手に八幡神社がある。駒留八幡神社という。
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 境内は環七通りから少し入ったところにあるが、鬱蒼とした杜の中に入っても環七通りを通る車の音が気になる。

 この神社の由緒は、鎌倉時代にまでさかのぼる。祀られている神像の背面にある銅板に、北条左近太郎入道成願という人物が徳治三年(1308)に奉納した旨が刻まれているからである。また境内からは、同年にやはり北条左近太郎入道成願が奉納したことを記す経筒が発見されているという。これは江戸時代に当地を知行した旗本大久保忠誠が、天和二年(1682)に社殿の寄進と石段の修理をした際に見つかったものだという。 

 神像や経筒の銘があるということは、その歴史が鎌倉時代までさかのぼることは確かなことのように思う。こういう歴史が身近にあると、わくわくしている。

 ところでこの北条左近太郎入道成願は、鎌倉時代に当地を領していた人物とされている。言い伝えによると、北条左近太郎入道成願が八幡宮を勧請しようとしていたとき夢に八幡神が現れ「私を祀るところは愛馬に聞け」と言われた。そこで翌朝愛馬に乗って自由に歩き回らせたところ、当地で立ち止まったのでここへ社を建てたとという。そこから「駒留」という名が来ているそうだ。

 大きな松の木を手前に配した本殿に参る。八幡神社というと朱塗りされている社殿が多いが、ここの本殿は素木であった。それがかえって社殿全体をどっしりとしたものに感じさせていた。
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 本殿の左奥へ行くと、この八幡神社にもやはり稲荷神社があった。
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 また、八幡神社の祭神には天照大神も含まれていて、天祖神社が合祀されているようである。

 さらにその奥には、弁財天が祀られていた。
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 これは常盤弁財天といい、吉良頼康の側室であった常盤姫を祀ったものである。常盤姫は奥沢城主大平出羽守の娘で、頼康の寵愛を受け、頼康の子も身籠っていたが、他の側室から讒言をされ、追われる身となってしまった。そして捕らえられ、自害して果てたのがこの駒留の辺りだという。常盤姫は逃げる途中で身の潔白を訴えるため、奥沢城の両親に向けた手紙を白鷺の足に付け託したそうだ。しかし、白鷺は途中で力尽き、手紙は間に合わなかったという。その白鷺が葬られた地に、白い花が咲くようになったという。これは鷺草と呼ばれ、今でも奥沢城のあった九品仏近くで見ることができる。そしてこの話は、鷺草伝説としても有名である。荏原
の昔話の一つである。

 そんな鷺草伝説の舞台でもある駒留八幡神社の弁財天であるが、それを取り囲む池は干上がっており、ちょっと残念であった。この弁財天は戦後まもなくまでは、神社境内前にあった池の中島に祀られていたという。今は神社前に環七通りに面した公園があるが、その辺りに池はあったのだろうか。

 また、常盤姫のお腹に身籠っていた頼康の子は、頼康によって八幡神社に一社相殿として祀られたそうだ。このため駒留八幡神社は、またの名を若宮八幡神社と呼ばれている。

 駒留八幡神社は、中世の歴史が詰まった神社であった。



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by ebara_explorer | 2008-03-08 16:20 | 八幡宮めぐり
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