2007年 06月 24日 ( 2 )

九品仏みち

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 千束八幡神社を見学した後、洗足池の池畔を巡って中原街道へ出た。街道沿いを西へ向かって少し歩いて行くと、沿道に「庚申塚」と書かれた大きな石塔が見えてきた。大田区南千束二丁目二十九番地である。予期していなかったところに史跡が現れ、驚いた。

 大田区教育委員会により設置された案内板によると、この石塔は文化十一年(1814)に建てられた庚申供養塔であるという。塔は角柱型になっているが、このような形は江戸時代後期に特徴的なものだそうだ。

 背面には建立のいわれが刻まれている。品川の御忌講の人々が建てたとされている。御忌講とは、案内板によれば浄土宗を信仰する人々であるという。

 注目すべきは、塔の右面に「従是九品仏道」と刻まれていることである。この塔は中原街道から分岐する道の角に建てられている。庚申供養塔という信仰のものであると同時に道標の役割も果たしているわけである。「従是九品仏道(これよりくほんぶつみち)」ということは、ここから九品仏浄真寺へ向かう道が中原街道より分岐していたことになる。

 大田区教育委員会は「この地点が中原街道から浄真寺に至る旧道の分岐点に当たることは古い地図からも確認できる」と案内板に書いている。私はそれを読んだ瞬間、その場で「古い地図」を見たくなった。同時に、この「九品仏道」探訪というテーマができたことにこの上ない歓びを覚えた。ワクワクしてたまらなくなってきた。必ずこの旧道を突き止め、九品仏浄真寺までたどり着きたいと思っている。

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by ebara_explorer | 2007-06-24 23:59 | 古道

千束八幡神社

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 八幡宮めぐりの旅を始めたい。まず訪れたのは、大田区にある千束八幡神社である。八幡宮めぐりに特に順番はない。思い付いた順に訪れたいと思っている。

 千束八幡神社は大田区南千束に鎮座する。洗足池のほとりにある小さな社だ。洗足池は鎌倉時代の昔、身延山から本門寺へ向かう途中の日蓮上人がここで足を洗ったことからその名があるというが、千束八幡神社の歴史はそれよりも古いそうだ。

 神社の由緒書きによれば、創建は平安時代の貞観二年(860)という。宇佐八幡宮を勧請して千束郷の総鎮守としたのが始まりとされている。千束郷は八幡宮と関わりがあったのだろうか。

 その後、平将門の乱で鎮守府副将軍として派遣された藤原忠方が池畔に居を構え氏神としたり、後三年の役で奥州へ下る途中の源義家が戦勝祈願をしたり、源頼朝が安房から鎌倉へ向かう途中にここへ陣を構えて平家討伐の幟旗を掲げたりと、東国の古代・中世史における画期に大きく関わっているようである。ちょうど池の南を中原街道という古道が走っていることから、ここは古来交通の要衝であったのだろう。

 また、源頼朝の故事に因んで、この八幡神社は旗挙げ八幡ともいうそうだ。さて源頼朝が陣を置いたとき、どこからか青い毛並で白い斑点のあるの馬が一頭やって来たので、郎党がそれを捕らえ頼朝に献上したという。この馬の姿はまるで池に映る月のようであったことから、池月と命名されたそうだ。池月はその後、佐々木高綱に下賜され、宇治川の戦いで先陣争いの一番乗りを果たしたとされている。本殿の脇には池月の姿を描いた大きな絵馬が飾ってあった。青い馬なんて本当にいるのだろうか。見てみたいものだ。

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 このように千束八幡神社は多くの由緒書きを持っている。宇佐八幡宮の勧請という端緒から、源氏に関わる逸話にも事欠かず、八幡宮縁起の典型のような由緒である。

 だが、その割には境内が狭いという印象であった。もっとも、神社を含む池の周囲が公園になっているから、そこをすべて境内と見ればかなり広い。

 ただし、池畔にはもう一つ社がある。弁財天である。八幡神社の境内が池畔の西側、いわば脇にあるのに対し、こちらの弁財天は池の一番奥に鎮座している。弁財天の境内もさほど広くないが、池の一番重要な位置に堂々と鎮座している印象がある。

 また、私が千束八幡神社を訪れたのは六月中旬であったが、弁財天では六月十七日に大祭が開催されるようで、その案内が八幡神社の本殿にも掲げられていた。両社の関わりはどのようなものなのであろう。弁財天といえば、水に関わる神とされる。荏原には弁財天も多いようだ。農業との関わりがあったからだろう。八幡めぐりとともに、弁財天めぐりもしなければならないと思った。

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by ebara_explorer | 2007-06-24 23:57 | 八幡宮めぐり