2007年 07月 14日 ( 1 )

桜森稲荷神社

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 身近なところに、意外な史跡が隠れていることがある。

 自宅から最寄りである都立大学駅の少し先に、桜森稲荷神社という、小さな社を見つけた。家からまっすぐ自転車で行けば、五分余りで着くだろう。見つけたときは、史跡巡りのときではなかったので、その後改めてこの社を訪れてみた。

 小さな案内板には「この辺りの氏神様」だと書かれていた。また、一帯に桜が多かったのでこの名があるとしている。近くには呑川緑道の桜並木があるが、きっと昔はそれ以外にも桜の木がたくさんあったのだろう。桜の森とはいい表現だ。

 稲荷神社は農業の神様であると案内板には書いてある。そして二月の初午は今も盛況だと記している。初午はお稲荷様の縁日だ。こういう案内板の「今」が本当に今なのかはわからないが、もし現在も行われいるのだとしたら、ぜひ初午のときに来てみたいと思う。屋台や露店が出たりするのだろうか。

 ところで、稲荷神社は一説によると八幡宮よりも数が多いという。荏原の史跡を巡る旅においても、お稲荷様は看過できない。ただ、お稲荷様は一般の家の庭にあったりもする。だから、八幡宮めぐりのように全てを巡ろうというわけにはいかない。それでも、荏原の歴史を形成するにおいて、お稲荷様がどのような関わりを持ってきたのか、その辺りは探っていきたいと思う。

 桜森稲荷神社の小ぢんまりした境内には、二体の石仏があった。一見すると庚申塔のようであった。私はすぐに太陽と月が刻まれていないか探した。それが庚申塔の特徴だからである。一体には両方がすぐ見つかった。もう一体にはうっすら金色に染まった太陽しか見つからなかったが、磨耗した部分に月も彫られていたのだろう。両方とも庚申塔に違いないと確信した。私もだいぶ庚申塔に見慣れてきたなと一人で得意になった。
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 一方の庚申塔には文化七年(1810)の銘が、もう一方の庚申塔には享保十五年(1730)の銘が読み取れた。これも自分で読み取れたので、ちょっと気分が良かった。それにしても、享保といえば三百年近く昔だ。私は身近な場所に深い歴史を感じた。

 こうしてみると、荏原に庚申塔は多い。先に見た鉄飛坂の庚申塔群はこのすぐ近くである。きっとこうして今も残るものはわずかだろうから、江戸時代にはもっとあちこちにあったと思う。庚申信仰の根深さについても、もっと考えていかなければならない。


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by ebara_explorer | 2007-07-14 13:56 | お稲荷様