2007年 08月 04日 ( 1 )

下山稲荷神社

 瘡守稲荷神社から来た道へ引き返し、玉川病院沿いの急坂を下って丸子川沿いへ戻る。そのまま西へ向かうと、下山橋という橋がある。ここから道を少し入ったところに静嘉堂文庫がある。明治の実業家である岩崎弥太郎の文庫があったところで今は彼のコレクションを展示する美術館となっている。寄ってみたいところだが、開催中の展覧会はさほど興味がないので今回は行かない。それよりも稲荷神社だ。この近くの瀬田四丁目四十一番にも稲荷神社がある。すっかり私はお稲荷様に取り憑かれている。

 鬱蒼とした木立の縁を回って急な坂を上り切ると、その木立への入口があった。瀬田四丁目広場とある。稲荷神社はこの辺りのはずだが、広場の中にあるのだろうか。広場に人影はなく一般の民家のようでもあったが、お稲荷様を見たい一心で中へズンズン入る。

 正面に建物があった。旧小坂家住宅という古い建物で、内部を公開しているようであったが、私の足は右手の庭の方へと向いていた。庭に稲荷神社があるのではないかと思う。庭と言っても、木々が生い茂っていて暗い。入口に、虫除けスプレーをしていくようにという案内があったが、ともかくもそのまま突き進む。

 川へ向かった斜面を下って行く。さっき坂を上ったばかりなのにまた下ってしまうのはもったいない気がしてきた。木々に日差しを遮られ、足元はジメジメしてくる。一歩一歩気を付けながら、道ともつかない斜面を下る。
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 下り切ると竹薮になった。かつての荏原はいづこもかくありなむ、などと思いながら歩を進めると、一番奥の角に何やら史跡の案内板が見えてきた。しめた、と思う。

 近寄ると庚申塔があった。また嬉しくなる。庚申塔は昔から好きだ。案内板によると、二基ある庚申塔はもともと、ここから近い玉川四丁目の幽篁堂庭園というところにあったそうだ。庭園が平成十三年(2001)に廃止された際、世田谷区に寄贈されたので、ここへ移ってきたと案内板に書かれている。

 幽篁堂庭園には添景として石造物が多くあったのだという。ということは、この庚申塔が古来その庭園の場所にあったとは思えない。どこからか持って来たものなのかもしれない。それでも、この瀬田四丁目や玉川四丁目近辺に存在していたように思う。一基には慈眼寺の近くで見た庚申塔と同様、笠が付いている。
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 笠のある一基には青面金剛と三匹の猿が彫られている。よく見るタイプだ。だがもう一基には一体の猿が大きく彫られている。これは珍しい。猿は薄ら笑いを浮かべているようでもある。
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 面白がって屈みながら眺めていると、腕の辺りに蚊が山ほど寄ってきていた。たまらず振り払うが、後から後から蚊がやって来る。猿とゆっくり対面する余裕はなかった。

 庭の中に稲荷神社はなかったので、早々に退散する。再び傾斜を上り、暗い木立から抜け出たときはホッとした。

 広場の入口を出て、塀に沿って歩いて行くと、ようやく木立の中に赤い鳥居を見つけた。旧小坂家住宅の敷地の北東隅である。木々に隠れるようにして、小さな社殿があった。ここは下山稲荷神社という名が付いているが、まさにこの小坂家住宅の「屋敷神」というくらいの小ぢんまりしたものであった。稲荷神社の原形を見る思いがした。
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 鳥居をくぐって木立に入った私は、また蚊が寄って来ないうちに外へ出ようと、急いでお参りを済ませた。


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by ebara_explorer | 2007-08-04 11:12 | お稲荷様