2007年 10月 06日 ( 1 )

勝利八幡神社

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 粕谷八幡神社、八幡山の八幡神社と、そう遠くない距離に二つの八幡神社があったが、この近くにはさらにもう一つ八幡神社があった。八幡山の八幡神社前の道を東にずっと進み、桜上水の交番の交差点に出ると、そばに三つ目の八幡様が鎮座している。この八幡神社には名前があって、勝利八幡神社という。

 名前の由来は、日露戦争にあたりこの八幡神社に戦勝祈願して出征した兵士が、無事に帰ってきたことから付いたという。名が付いたのは最近だが、歴史は古く、平安時代の万寿三年(1026)に京都の石清水八幡宮を勧請して創建されたという由緒が境内の案内板に書かれていた。

 鳥居の前に神社の名を記した大きな石碑が立っていたが、そこには「勝利八幡神社 山谷稲荷神社」と併記されていた。八幡宮めぐりとお稲荷様めぐりをしている私には、一挙両得のような社であるが、ちょっと違和感がある。境内にお稲荷様が合祀されているのだろう。
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 ここにも背丈の高い木が多く、西日を浴びた緑の葉が社殿を取り囲んでいた。正面奥が本殿で、その右手には、旧本殿が世田谷区の有形指定文化財として保存されていた。旧本殿は約1メートル四方の小さなもので、天明八年(1788)に建てられたものであることが棟札からわかるという。この旧本殿は、境内の中央に築山を築き、その上に覆屋を造り納められていたという。築山の上に小さな本殿があったというのは、異様な光景に思えた。

 旧本殿の奥には小さなお稲荷様が鎮座していた。これが山谷稲荷神社なのであろう。お稲荷様以外にも天祖神社の社殿もあって、狭いところに多くの神様が窮屈そうに鎮座している印象があった。

 古い由緒を感じさせる境内であったが、誰が何のために、千年近く昔にこの地へ八幡様を勧請したのだろうと思った。しかし、境内に答はなかった。本殿の脇に掛けられた絵馬が、強い風でカタコトと軽快に音を立てているのみであった。

 狭い地域に三つの八幡神社が存在するというのは興味深いことであった。しかも八幡山の八幡神社と勝利八幡神社はほぼ一本の道でつながっており、それが古道ではないかとも思わせた。勝利八幡神社へ向かう途中、東北沢の消防署近くに、草原の中に忽然と立つ地蔵様があり、草に埋もれそうな石碑も見えたからである。この地域については、もう少し調べてみないといけないと思った。

 後で調べてみると、この勝利八幡神社には別の由緒があった。その言い伝えによると、はじめは天から降ってきた「お伊勢さま」のお札を御神体として祀っていたが、戦国時代に武田氏と北条氏の合戦の後、小田原の武将鈴木氏一族がこの上北沢に移り住み、八幡社を祀るようになったという。平安時代に勧請されたという由緒とはだいぶ違うが、こちらの方が真実味はある。

 八幡神社のすぐ近くには、鈴木氏累代の菩提所となっている密蔵院という寺もあるようだ。鈴木氏は吉良氏の家人でもあったようなので、ここは吉良氏の史跡としても改めて訪れてみたいと思う。



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by ebara_explorer | 2007-10-06 22:32 | 八幡宮めぐり