2007年 11月 14日 ( 1 )

上目黒天祖神社

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 天祖神社という名の神社は、地図で良く目にする。荏原にも、八幡神社ほどではないにせよ数がある。これはもともと、伊勢神宮の天照大神を祀っていて伊勢宮とか神明宮とか呼ばれていた神社が、明治になって改称させられたもののようだ。

 中目黒の文化財めぐりで訪れた上目黒の天祖神社もその一つで、もともと神社のある地は「伊勢森」と呼ばれており、また周辺は「伊勢脇」という地名であったそうだ。

 駒沢通りに面した社に着いて驚いたのが、参道に自動車が並べられていることである。参道が駐車場になっているためだ。郷土史家の先生によれば、神社が社殿の修理費用などの収入を得るために仕方のないことだそうだ。お祭りのときだけ、車は置かない契約になっているという。

 境内の奥にある小さな社殿は、昭和八年(1933)の創建であるという。社殿のすぐ左には、かつて姿の良い黒松があり、遠くからも目印になるほどで大きなものであったそうだ。
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 境内の裏手は公園になっていた。これは区が買い取って公園にしたもので、そのことによって神社周辺は木の多い地区になったのだという。また、公園のさらに裏手は崖になっており、昔は崖下が泉でホタルが飛び交ったりしていたと、郷土史家の先生は懐かしげに話していた。かつての荏原の風景が私にも浮かんできた。

 境内には他に、庚申塔が二基あった。ともに青面金剛と三猿が彫られたものだ。一方は宝永五年(1707)の年号、もう一方は享保元年(1716)の年号が刻まれており、享保の年号を持つ塔は道標にもなっていたという。道標の銘は「是より末町さき四辻、大道九品仏道、右せたかい道、左ふとう道」とあるそうだ。
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 この庚申塔はもともと、駒沢通りを少し西へ行ったところにあったと、郷土史家の先生はおっしゃっていた。例の庚申みちとの交差点辺りにあったそうだ。道をまっすぐ行けば九品仏、庚申みちを右に行けば世田谷、左に行けば目黒不動ということになり、先に伺った庚申みちの道筋と一致する。昭和十五年(1940)に、駒沢通りがオリンピックの準備のために拡張された折にここへ移ってきたという。それまで駒沢通りは、祐天寺の先で大きく左へそれていたそうだ。

 天祖神社の裏手を北に向かい、なだらかな坂を下りていくと目黒銀座商店街に出る。ここにある目黒銀座観音が文化財めぐり最後の見学地であった。目黒銀座観音は大正時代に勧請されたものである。かつてこの中目黒には、小規模の乳牛牧場や馬力運送業者が多かったため、馬頭観音を勧請したのだそうだ。商店街を門前町として発展させるという意図もあったという。

 この後、中目黒GTプラザまで歩いて、文化財めぐりは解散となった。独りで歩いていてはわからないことを、いろいろと知ることができた。この荏原をめぐる旅の一環として、機会があればまた参加してみたいと思う。

(写真は後日再訪して撮影したものである)



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by ebara_explorer | 2007-11-14 23:09 | 天祖神社