2007年 11月 18日 ( 1 )

目黒元不二

 浮世絵が好きである。と言っても、美人画ではない。風景画の方である。安藤広重の描く「東海道五十三次」などは子供の頃から良く眺めていた。見ているだけで当時の旅に出ているような気分になって、ワクワクしてくるものである。

 安藤広重の作品で、その「東海道五十三次」と双璧をなすのが「名所江戸百景」である。江戸時代の江戸の町における「名所」が描かれている。馴染みの多い場所が描かれているだけに、こちらも昔から良く眺めていて私のお気に入りだ。特に都内ではこの「名所江戸百景」の展覧会が開かれることも多く、それにも何度となく足を運んでいる。

 さて、この「名所江戸百景」に限らず、江戸という地名はどこを指しているのだろうか。江戸というのは江戸の「町」である。徳川時代に将軍が拠とした城下町のことを指すと言って良い。それは現在の東京23区より狭い範囲である。特に西側の大半は近郊の農村で、そこは江戸ではないと言える。だから、今私がフィールドとしている荏原も、そのほとんどが江戸ではないことになる。この旅は「江戸ではない東京の旅」だと思っている。もっとも、厳密に言うと、かつての荏原郡は現在の港区や千代田区の一部までを含んでおり、そこはまさに江戸の只中であるわけだが、私はあえてそこをフィールドとはしていない。

 だから「名所江戸百景」に描かれた場所も、ほとんどが私のフィールド外なのだが、何枚かは範囲内に入ってくる。わずかに江戸の町に手が届きそうな目黒の東側の部分がいくつかと、東海道沿いの名所である。東海道沿いも、品川宿を過ぎれば江戸と言ってよいかどうかわからないが、「名所江戸百景」には何箇所か含まれている。そんな範囲内の「名所江戸百景」の地をめぐってみようと思う。さすがに百もあると全部回るのは大変だし、それだけでブログの一テーマになりそうなものであるが、数えてみると範囲内にあるのは十一箇所だったので、この旅の新たなテーマとして取り上げるにはちょうど良い数であった。


 さて、最初に訪れたのは「目黒元不二」である。この「目黒元不二」は、富士信仰の様子を描いたものである。江戸時代に広まった富士信仰では、手軽に富士山の崇拝ができるよう、身近な場所に小さな山を築き、それを信仰の対象としていた。富士塚などと呼ばれるものである。

 目黒元不二は、東急東横線中目黒駅の近くにあったものだ。目切坂という急坂沿いに位置していた。
e0123189_1621733.jpg

 文化九年(1812)に上目黒村の富士講の人々が築いたもので、高さは12メートルもあったという。山には九十九折の道が設けられ、山頂には浅間神社の石宮が祀られていたそうだ。後の文政二年(1819)に新たな「富士」が中目黒に築かれたため、こちらは「元不二」と呼ばれるようになったとのことである。 

 富士講は明治になると衰え、明治十一年(1878)には「元不二」の鳥居や石宮が取り壊され、昭和十八年(1943)には講の碑石が他所へ移されてしまったという。現在、この「元不二」の跡には巨大なマンションが建てられている。鬱蒼とした目切坂沿いに建つ、一際鮮やかなマンションである。
e0123189_163585.jpg

 「名所江戸百景」の画を見てみると、「元不二」の彼方には本物の富士山が良く見えている。西側に開けた目黒川の急な傾斜である。その跡に建つマンションからは今も富士山が望めるのだろうか。マンションの住人でもない私は、周囲からその建物を恨めしく眺めるしかなかった。



にほんブログ村 歴史ブログへ

にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ

にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
[PR]
by ebara_explorer | 2007-11-18 16:03 | 名所江戸百景