2008年 01月 24日 ( 1 )

六郷神社

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 第一京浜国道新六郷橋近くに鎮座する六郷神社は、もともと八幡神社である。江戸時代には「六郷八幡宮」と呼ばれていたという。だから私の「八幡宮めぐり」に入れて良い社だ。今の社名になったのは明治以後のことである。周囲の小さな社がここへまとめられたためだと思われる。神社に着いて案内板を見てみると、境内末社として列挙された祭神には、天照大神、素盞嗚命、日本武尊、大物主命、布津主命、天太玉命、天児屋根命、宇迦御魂命とあり、あらゆる種類の神が押し込められてしまったかのようになっている。

 社伝によると六郷神社の由緒は古く、天喜五年(1057)に源頼義・義家父子がこの地の大杉に源氏の白旗を掲げて軍勢を募り、石清水八幡に武運長久を祈ったところ士気が高まり、前九年の役に勝利を収めたのでその分霊を勧請したのが創建とされている。また、源頼朝も奥州平定の際、祖先の例にならって戦勝を祈り、建久二年(1191)に社殿を造営したという。まさに源氏づくしの社である。

 ところで、源頼義が前九年の役へ向かう際に通って云々という由緒は、他の八幡神社でも見たことがある。世田谷区尾山台の宇佐神社だ。あの社も、この六郷神社同様、多摩川に近いところにあった。ということは、源頼義の軍は多摩川沿いをずっと下って奥州へ向かったのだろうか。いや、多摩川を下ると南へ戻ることになり奥州へ背を向けてしまう。では、六郷から多摩川を遡って尾山台に至ったのだろうか。そうすると今度は西へ移動してしまう。それも考えづらい。頼義・義家にまつわる由緒をもつ八幡神社は数多いが、この二つの社の由緒を採っただけで、早くも矛盾が出てきたように思う。

 それはさておき、時代が下って徳川家康が関東に入部すると、六郷神社には朱印地十八石が寄進された。そして慶長五年(1600)の六郷大橋竣工の際には、当社の神輿が渡初式を行ったという。また、徳川将軍鷹狩りの際にもしばしば参詣があったため、葵紋を用いるようになったそうだ。江戸時代には「江戸名所図会」にも描かれたということで、それが案内板にも載せられていた。当時は東海道筋にあったから、参詣の人も多かっただろう。図会にも東海道が描かれているが、その往還に並ぶ人家は八幡塚村のものだそうで、村の名は境内にある塚から来ているという。源義家が前九年の役の際に武器を納めたといわれる塚である。

 国道に面した参道を進み境内に入って行くと、古い狛犬があった。貞享二年(1685)に六郷中町の有志が奉納したもので、大田区内最古の狛犬だそうだ。古い狛犬は姿が少しぎこちなく、表情も豊かである。
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 左手の拝殿に参ってから折り返して真っ直ぐ進むと、立派な神門と鳥居がある。こちらが神社の正面と言って良いだろう。
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 神門の外に小さな石橋があって、これは梶原景時が奉納したものと伝えられている。確かに古めかしい橋だ。それにしても梶原景時は荏原を旅していると良く出てくる。
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 こちらの入口から真っ直ぐに伸びる道が、古い時代の東海道といわれている。先の「江戸名所図会」には、松並木が描かれている。第一京浜国道の喧騒から外れた細い道は、少しだけ「江戸名所図会」の面影を残す場所であった。

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by ebara_explorer | 2008-01-24 18:21 | 八幡宮めぐり