2008年 02月 23日 ( 1 )

はねたのわたし弁天の社

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 玉川弁財天の前から多摩川の堤防に沿って上流へ歩いた。この辺りの川岸には釣り船や屋形船が何艘も係留されている。それを横目にしながらしばらく歩いて行くと、橋が見えてくる。首都高速横羽線の大師橋と、その向こうにもう一つ、産業道路の大師橋がある。横羽線大師橋をくぐり二つの橋の間に入れば、その辺りはかつて、渡し船が通っていたところだ。これは羽田の渡しと呼ばれ、あの「名所江戸百景」に描かれている場所である。

 川沿いの道端に、大田区の建てた碑があった。それによると、羽田の渡しは、小島六佐衛門組が営んでいたので「六佐衛門の渡し」とも呼ばれていたそうだ。渡し場付近の川幅は約40間(80m)くらいで、対岸から「オーイ」と呼ぶと聞こえるくらいであったという。

 ここを行き来していた船は二、三十人が乗れるほどの大きなものだったそうで、人間のほかに魚介類、農産物、衣料品など生活に必要な物資も運ばれていたということである。

 この渡しはまた、江戸から川崎大師へ参詣するときの要路でもあったそうだ。川崎大師参詣の道程は通常、東海道をまっすぐ行き、六郷の渡しで多摩川を越え川崎宿に入っていた。しかし、東海道を途中の蒲田の先で左折し、のどかな風景の中を歩いて羽田の渡しに出る道筋が次第に多くの人に利用されるようになったとのことだ。この道程では川崎宿を通らないため、川崎宿からは商売に差し支えるので羽田の渡しの通行を禁止してほしいという訴えが出るほどであったという。

 羽田の渡しは、昭和14年(1939)に大師橋がかかるまで運航されていた。今は横羽線の大師橋もできて、大きな橋が二つもある。こんな立派な橋が二つもあれば、渡し船など出る幕もないなと思った。

 さて、かの「名所江戸百景」の羽田の渡しは「はねたのわたし弁天の社」と題して、玉川弁財天とセットで描かれている。玉川弁財天は、河口に突き出た小さな島にちょこんと存在している。島の先の方には常夜燈もぽつんと見える。何とも心細いところだ。そして、手前には渡し船を漕ぐ人の足と櫓、綱が三角形を描く構図になっている。

 現代の羽田の渡しは、東京都側から伸びる二つの橋が、対岸の神奈川県側で交差するようになっている。実際は横羽線の高架下に産業道路が入る形となるのだが、二本の橋と川の流れが三角形を形作っている。これが現代版「はねたのわたし」の三角形だな、と私は思った。
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(最初の写真は大田区が建てた碑のレリーフである。)



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by ebara_explorer | 2008-02-23 14:25 | 名所江戸百景