2008年 10月 28日 ( 1 )

八景坂鎧掛松

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 大森駅の西口を出ると、目の前が池上通りである。この通りは江戸時代には池上道と言われていた。品川から本門寺のある池上まで通じる古道である。かつては東海道の一部であったとも言われている。

 駅前の池上通りは坂道になっているが、この坂を八景坂という。昔は相当な急坂で、雨水が流れるたびに坂が掘られて薬研(やげん)のようになったため、薬研坂と呼ばれていたそうだが、坂上の眺望が良いため名所として知られるようになり、また江戸時代にこの辺りの八景を選んだことから八景坂と呼ばれるようになったようだ。

 坂上の眺望は安藤広重の『名所江戸百景』にも描かれている。題して「八景坂鎧掛松」である。荏原にある『名所江戸百景』の一つだ。鎧掛松というのは、八景坂の坂上にあった大きな松のことで、源義家が東征の際に鎧を掛けたことからその名があるという。荏原にある八幡神社創建の由来に度々名前の出てくる源義家だが、この松の名の由来にも登場してきた。

 安藤広重の描いた「八景坂鎧掛松」を見ると、形が良く背の高い松の木を手前に配し、背景には、近くに海辺の東海道を見下ろし、遠く海の向こうには房総の山々を望むという画になっている。松のある坂上には茶店らしきものがある。松越しに開ける海の眺望が印象的だ。

 現代の八景坂は、大森駅前のごみごみした繁華街で、眺望も何もあったものではない。歩道には自転車があふれ歩きづらい。また、坂はそれほど急ではなく、薬研坂と呼ばれた面影もない。

 そんな中、坂の途中にある大森駅西口の向かいに、こんもりとした杜がある。天祖神社である。源義家が戦勝祈願をした社とも伝えられている。木々が鬱蒼としてひっそりとした境内は「八景坂鎧掛松」の描かれた時代の雰囲気を多少なりとも残しているように思われた。
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 神社の急な石段の途中に、句碑がある。碑には「鎌倉の よより明るし のちの月 景山」という句が刻まれている。
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 また、裏側には八景坂からの眺望である「笠島夜雨・鮫洲晴嵐・大森暮雪・羽田帰帆・六郷夕照・大蘭落雁・袖浦秋月・池上晩鐘」の八景の名が書かれているという。

 往時、急坂を上り切ったときに現れる眺望は、坂を懸命に上って来た人たちにとって疲れを癒すものであっただろう。現代の東京には、そのように眺望が開けるところはないように思う。もっとも、高いビルや塔の展望台に上れば話は別だが、そういうときはたいていエレベータで上がってしまうので、自分の足で上がるという苦労はない。八景坂を上り切ったときの、胸の空くような開放感を味わってみたかったものである。



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by ebara_explorer | 2008-10-28 17:01 | 名所江戸百景