カテゴリ:庚申塔( 4 )

庚申燈籠

 馬込の史跡めぐりを続けたい。

 万福寺の裏手に、神明社という小さな社があった。各地の天祖神社がかつて神明社とか神明宮と呼ばれていたことから考えると、ここの神明社も天祖神社と同じく伊勢の天照大神を祭神としているのだろう。

 社に隣接して幼稚園があった。というより、狭い境内が幼稚園の中にすっぽりと納まっている感じだ。そんな境内の一隅に、庚申塔があった。
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 この庚申塔は燈籠の形をしている。言い方を変えれば、石燈籠に庚申様が彫られている。中心となる青面金剛は、細い竿の部分に刻まれている。細い石の中で、青面金剛はちょっと窮屈そうでもあった。

 案内標によれば、この庚申燈籠は、享保三年(1718)に、馬込村久保谷の人々によって庚申供養のために建てられたものだという。燈籠型の庚申塔というのは類例が多いそうだが、ここのように青面金剛が彫られているのは珍しく、たいていは銘文や三猿だけを刻んだものなのだそうだ。

 境内は幼稚園のカラフルな柵で囲まれており、庚申燈籠もその中にあった。柵のすきまからそっとカメラを入れてズームで迫り、ようやく青面金剛の表情を捉えることができた。

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by ebara_explorer | 2007-11-30 19:19 | 庚申塔

平町庚申塔

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 身近なところに、まだまだ見知らぬ史跡が隠れていた。私がお稲荷様めぐりをする端緒となった桜森稲荷神社の近くに、庚申塔があった。目黒区平町二丁目十四番にあたる。

 そこは不思議な場所であった。住宅街の中の、一軒の民家の敷地内が墓地になっていた。そして墓地の隅が塀で囲われ、その中に庚申塔、馬頭観音などが安置されていた。

 この庚申塔は、少し変わっている。青面金剛も猿もいない。それでも、日と月が刻まれているから庚申塔なのだろう。形は板碑型である。この前、旗の台で見た題目庚申塔と似ている。しかし「南無妙法蓮華経」という題目も刻まれていない。中央に刻まれているのは「帝釈天王」という文字だ。

 帝釈天といえば、ここからも程近い鉄飛坂の帝釈堂が思い浮かぶ。庚申塔の納められた堂が「帝釈堂」と呼ばれていた。そしてそこに納められている庚申塔は、日蓮宗の題目または帝釈天を中心とした塔であるという特色を持っていた。日蓮宗では、青面金剛を帝釈天の使者として勧請するという。つまり、ここの庚申塔も、日蓮宗の影響を受けた庚申塔ということになる。

 庚申塔の年号は延宝六年(1678)十一月二十三日とある。近くの桜森稲荷神社境内にある庚申塔よりも古いものだ。さらに、同じ敷地内の観音像には、元禄二年(1689)九月二十二日の年号があった。いずれも1600年代のものだ。近所の歴史がさらに遡ってきた。

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by ebara_explorer | 2007-10-01 21:39 | 庚申塔

五本木庚申塔群

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 目黒区の五本木は「昔、五本の木があったから五本木」という単純な成り立ちの地名である。ただ、地名としては六本木の方が有名なので、五本木だと何となく足りない気がする。

 五本木にある庚申塔群を訪れた。目黒区守屋教育会館の裏手にある。守屋教育会館は、小学校の頃からよく訪れた施設だ。ここには区の郷土資料室もある。すでに何度も行ったことがあるが、荏原の史跡を巡る旅に際して、改めて見に行かなければならないところではある。

 それはまた今度にして、今日は庚申塔だ。ここには地蔵菩薩像一体と庚申塔四基が並んでいる。案内板によれば、貞享三年(1686)から文化七年(1810)にかけての年号が刻まれているという。どれも状態が良くて、しっかりと残っている。

 庚申塔建立のもととなる庚申信仰では、干支の庚申にあたる日の夜を寝ずに過ごし、長寿・息災を祈る庚申待が執り行われる。この日の夜は人間の体内にいる三戸の虫が体を抜け出し、天帝にその人の悪事を報告するという。その報告により短命になってしまうので、庚申の夜は寝てはいけないとされている。中国から伝えられた信仰だそうだ。

 庚申待の行事は集団で行われた。その集団が庚申講と呼ばれるものである。そして、六十日に一度の庚申待を足かけ三年、連続して十八回行うと、供養のために塔を建てるようになった。それが今に残る庚申塔である。建立された年代から、この辺りでは江戸時代に盛んに庚申待を行っていたことが窺われる。

 庚申待はどのような行事であったのだろうか。皆が夜通しで集まるから、酒食が振る舞われたのだろうか。この辺りの名産の筍が持ち寄られたりしたのだろうか。身近な庚申塔をもっと調べて、荏原の信仰の在り方を知りたいと、改めて思った。


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by ebara_explorer | 2007-07-18 11:47 | 庚申塔

鉄飛坂帝釈堂

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 前回見た、品川道の途中にある鉄飛坂帝釈堂(目黒区平町二丁目十八番地)は、看過できない史跡である。品川道をたどる旅を始めた私もここで足を止めずにはいられなかった。この帝釈堂には、庚申塔が納められている。

 目黒区には庚申塔が多い。目黒区のホームページにも、区の歴史の中で、庚申塔のことが取り上げられている。それによると、区内には約七十基の庚申塔があるという。庚申塔は、最も身近な史跡であるといえる。

 現地の案内板によると、この鉄飛坂帝釈堂には三基の庚申塔が納められているという。またこの三基とは別に一基の題目塔があるそうだ。

 題目とは、先の九品仏道標でも見た日蓮宗の「南無妙法蓮華経」という題目のことである。また一基には帝釈天の画像が描かれているようだ。この堂が「帝釈堂」と呼ばれる由縁であろう。年代は江戸時代から明治時代にかけてのものである。

 案内板は、日蓮宗の題目または帝釈天を中心とした塔であることと、庚申塔による講が地元の人々により今日も続けられているところに特色があると結んでいる。ただし今日といっても、この案内板が設置されたのは昭和五十八年三月となっている。現在まで続けられているのかどうかはわからない。

 それにしても、また日蓮宗に関わりのある史跡が出てきた。やはりこの辺りは、日蓮宗の影響が相当強いのであろう。案内板を読み、それを改めて感じながら堂の周囲を見回してみると、いくつかの石塔が目に付いた。これらも庚申塔なのだろうと思って近寄ってみると、一つは道標のようであった。それには「左ハ池上 右ハほりの内」と刻まれている。

 この石塔は東向きに建っており、確かに左手の南に大田区の池上がある。池上とは、日蓮宗の古刹池上本門寺のことを指しているのではないか。坂の下を流れる呑川沿いに下って行けば、まさに本門寺に出られる。それとも、この鉄飛坂と交差するように、池上へ向かう往還があったのだろうか。

 一方、右の「ほりの内」とはどこであろうか。漢字で書けば「堀ノ内」だろう。ちょっと考えると、環七通り沿いの「堀ノ内」が浮かんだ。杉並区内だっただろうか。その辺りに何か、日蓮宗に関わる重要なポイントがあるのではないかと思う。私は、この道標が日蓮宗に深く関わっているのではないかと考えたからである。

 帰宅してからインターネットのスクロール地図を広げると、探し物はすぐに見つかった。杉並区堀ノ内には、妙法寺という日蓮宗の古刹があった。いわれを見るとこの寺は江戸時代から庶民の間で「堀の内のおそっさま」と呼ばれ、厄除け信仰が盛んだったという。道標が指している「ほりの内」は、この妙法寺に違いないと思った。鉄飛坂帝釈堂の道標は、日蓮宗に深く関わるものであるといえるだろう。

 近所の歴史を少し掘り返しただけで、この地域における日蓮宗の影響の大きさをひしひしと知った。これはやはり、荏原郡内最大の古刹と言える池上本門寺の影響が強いといえる。荏原の歴史を学ぶ者にとって、池上本門寺はあまりにも巨大な存在である。

(写真は帝釈堂脇の庚申塔である。この後ろに問題の道標がある。)

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by ebara_explorer | 2007-06-14 23:59 | 庚申塔