カテゴリ:その他( 5 )

品川歴史館特別展

e0123189_19263311.jpg

 品川歴史館で開催されている特別展「東京湾と品川-よみがえる中世の港町-」に行って来た。この特別展は、江戸時代の宿場町になる前の品川の様子を、港町という観点から辿るものである。

 まず第一会場では、品川の地理的な概観がわかるようになっていた。床に大きな地図が掲げられ、東京湾を取り囲む中世当時の湊が示されている。六浦・神奈川・浅草寺隅田川河口・市川・船橋・木更津・古戸・百首・館山といった場所との連携が窺える。そして、品川は湾のずいぶん奥まったところに位置していることがわかる。

 次の第二会場では、港町としての品川の歴史が編年で展示されていた。品川は室町時代にすでに太平洋海運の港湾都市に発展していたが、その湊の起源は、古代武蔵国府の時代に端を発するという。品川は武蔵国の国府津もしくは荏原郡の郡津であったと考えられている。そして、その時代に武蔵国府のあった府中と品川の密接な関係が窺われる。すなわち、多摩川による水運と、陸路の品川道である。調布市では古代品川道の道路遺構が見つかっており、そこでは中世の工房跡と想定される遺構も合わせて確認されているという。この品川道は、千束・雪ヶ谷・等々力・喜多見と荏原の真ん中を東西に横切る形で推定されていた。ひじょうに興味深い道筋である。また、品川と府中の関係は、府中大国魂神社に伝わる「浜下り」という行事が品川の海で行われるところからも辿れるという。この行事は源頼義・義家の奥州征討の際に始まったものとされている。

 中世になると品川は、多摩川の流域に土着した大井一族のうち、大井氏・品河氏に支配されるようになったという。鎌倉初期の『曽我物語』や『千葉妙見大縁起絵巻』には「品川宿」の名が見えるが、この宿は大井氏・品河氏の居館を中心とした交通・軍事の要所に設けられたものと考えられている。ちなみに、大井氏は多摩川左岸から立会川流域の大井郷、品河氏は目黒川下流域の品河郷を本貫地としたそうだ。

 さらに室町時代になると、港町としての品川の様子がはっきりとわかる史料が出てくる。金沢称名寺に伝わる明徳三年(1392)の『湊船帳』である。これは品川に入津した船の台帳と考えられていて、伊勢方面からの船が出入りしていたこともわかる。ただし、この『湊船帳』をめぐっては、品川を船籍地とする船の台帳とする見方や、品川入津の帆別銭免除の神船を記載したものだとする見方もあるそうだ。帆別銭というのは入港税のことであり、鎌倉府の下で称名寺や鎌倉の寺院の修造に使われたそうだ。これについては別に『帆別銭納帳』という史料もある。

 伊勢方面との関係を示すものとしては、遺跡からの出土品もある。この歴史館がある辺りの大井鹿島遺跡では、南伊勢系土器が出土しているそうだ。また、品川には常滑焼の大甕が伝わっている。これはロビーに展示されていたが、実に大きな甕である。

 こうした湊としての活動に伴い、室町時代の品川は町としても発展していく様子が展示では描かれていく。当時は、禅宗寺院や浄土・浄土真宗の寺院、日蓮宗の寺院が創建され、また時衆の活動もあった。今に残る妙国寺や法禅寺など品川の有名な寺ができたのもこのときである。

 また、都市としての品川の縁辺部にあたる御殿山には霊場ができる。中世において葬送と供養の行われていた御殿山からは大量の板碑や五輪塔・宝篋印塔が出土している。幕末の台場築造のときに見つかったものだ。これらは法禅寺に保管されていて普段は見ることができないが、今回は特別にいくつかがロビーに展示されていた。薄い板碑はさすがに割れているものが多かったが、五輪塔や宝篋印塔はほぼ原型のまま残っていて驚かされる。中世の祈りがひしひしと伝わってくるものだ。出土した板碑には、多摩川下流域に見られる蝶型蓮座板碑と東京湾北寄りに見られる浅草寺型蓮座板碑の両方があるそうで、また宝篋印塔には北関東の特徴を有する部材が含まれているということで、品川における多様な文化の交流が窺えるものであった。

 それからこの時代になると、在地領主品河氏が没落し、代わって問などの商人の活躍から有徳人が誕生するようになる。品川で有名な有徳人としては鈴木氏や榎本氏などがいるそうだ。鈴木氏は妙国寺の壇越となり、また文化人としての活動も残しているという。

 さらに時代が下ると、宇田川氏や鳥海氏などの町衆の活躍が目立つようになる。そして、戦国時代の後北条氏による支配の頃には、町衆が自立した都市機能を確立していたという。それが江戸時代の宿場町としての発展へとつながっていくことになる。

 展示全体からは、品川が港町として多方面とつながりを持っていた様子が立体的に読み取れた。そして、品川にも中世の痕跡が多く残っていることを知ることができた。これから荏原の歴史探訪として、品川を訪れるのが楽しみになってきた。また今回は、久しぶりに自分の好きな中世を中心とした歴史に深く触れることができて、この上ない歓びであった。



にほんブログ村 歴史ブログへ

にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ

にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
[PR]
by ebara_explorer | 2008-11-19 19:35 | その他

新年

e0123189_17282829.jpg

 新しい年が明けた。

 気持ちも新たに、今年も荏原の旅を続けていきたいと思う。

 旅の当初から始めた八幡宮めぐりやお稲荷様めぐりはもちろん、新たにテーマとして加わった、水辺の神や天祖神社などもめぐりたい。庚申塔や富士講の史跡も探していきたい。また、大きなテーマとして掲げた吉良氏の史跡めぐりも、今年は本格的に取り掛かっていきたい。

 ただ、あまり気負わず、細く長くこの旅が続けられるようにしたい。何より荏原の旅を楽しむことが大事だ。


(写真は近所の東光寺の門松である)




にほんブログ村 歴史ブログへ

にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ

にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
[PR]
by ebara_explorer | 2008-01-04 17:30 | その他

旅立ちから半年

e0123189_19253896.jpg

 東京荏原歴史物語資料館と題し、荏原の旅を始めてからちょうど半年が経った。この間、身近な地域の歴史を見つめ直し、いろいろなところへ出かけた。小学校で郷土史を習ったとき以来再訪した場所もあった。近所なのに初めて訪れる場所もあった。多くの史跡を訪れ、様々な発見があった。そしてよく歩いたと思う。

 だが、都会の中に埋もれた歴史を掘り起こすのは、なかなか難しい。荏原は急速に宅地化が進んだ地域でもある。そこに残る歴史は少ない。また、出てきても江戸時代の二、三百年前までがせいぜいだ。私が興味を持っている中世まで行き着くことは、社寺の縁起にはあっても史跡という形ではほとんどない。だから、少し物足りない気もしている。

 それから、旧荏原郡を想定したフィールドが、範囲としては少し広すぎたかもしれないと後悔することもあった。広い地域を見るには、あちこち行かなければならない。そのため、訪れる史跡が点々として、各々がなかなか結び付いてこない。ばらばらになっているような気がする。ひとところに腰を据えることができていないように思う。

 それでも、フィールドは広い方が面白い。今度はどこへ行こうかと迷うほど、対象はたくさんある。それに今はまだばらばらな各史跡も、点を多く打ち込んでいくことによってそれぞれがつながり始め、線や面を描くようになっていくだろう。また、中には時代の古い史跡もいろいろ出てくるだろう。そうやって点を重ねていくうちに、荏原という地域の連綿とした歴史が浮かび上がってくるように思う。

 旅は、まだ始まったばかりだ。これからの道のりはまだまだ長く、そして楽しいものである。



にほんブログ村 歴史ブログへ

にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ

にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
[PR]
by ebara_explorer | 2007-11-26 19:26 | その他

大田区立郷土博物館特別展 川瀬巴水

e0123189_2253669.jpg

 大田区立郷土博物館で開催の特別展「川瀬巴水(かわせはすい) 旅情詩人と呼ばれた版画絵師 -没後50年-」を見学した。川瀬巴水は、大正から昭和にかけて版画の興隆をもたらした絵師である。彼は「旅情詩人」と呼ばれた通り、生涯を通じて日本中を旅し、各地の風景を版画にして残している。また、生涯の大半を現在の大田区内にあたる地域で過ごし、付近の風景を描いたことでも知られている。今回の没後五十年を期した展覧会は、そのゆかりの地で開かれている。

 私がこの川瀬巴水の作品に初めて出会ったのは、東京国立博物館の展示においてである。何かの特別展を見た後、ついでに平常展を見た折、ふと目に付いたのが彼の風景画であった。近代的な風景が、まるで安藤広重の浮世絵のような画風で描かれているところに新鮮さがあったためである。

 そのときに作者の名前も確認し、見知っていたが、しばらくの間忘れていた。それが二年前の年末に浅草を訪れたとき、雑貨屋で偶然「川瀬巴水カレンダー」を見つけたことで思い出された。以来、川瀬巴水の風景画の魅力に引き込まれ、画集を購入したり「川瀬巴水カレンダー」を毎年愛用したりしている。

 今回、その川瀬巴水の作品が身近な博物館で見られるとあって、非常に楽しみにして博物館を訪れた。

 この特別展では、前期・後期合わせて約三百点もの作品や資料を見ることができた。そのほとんどが風景の版画である。川瀬巴水の風景画を見ていくとまず、江戸時代の浮世絵と同じ画風ながら、近代の風景が描かれているところに楽しさというか、面白さを感じる。風景の中に、電線や自動車、自転車、近代建築などが出てきている。しかしそれらは、まったく違和感なく景色の中に溶け込んでいる。ともすれば美しい「風景」にとっては邪魔になりそうだが、そんなことはなく、全体が一つの風景として自然に見ることができてしまう。それが余計に面白さを引き立ててくれるように思う。

 それから、版画ならではの技法も巧みだ。特に目に付くのは光と影の表現だ。朝日のほの温かさ、日陰の涼やかさ、それらが画から伝わってくる。空の色の移り変わりも実にうまく表現している。また、同じ光を描いていても、日光と灯火では印象がまるで違っている。こうした表現が特に際立ってくるのが夕景の描写である。川瀬巴水の作品には夕景を描いたものが多く、夕焼けに染まる空や黄昏時の表現などは秀逸である。思わず画に引き込まれるものがある。それから、夜の帳の表現も優れている。一色ではない夜の闇が見事に表現されている。私などはカメラで夜景を撮るのにえらい苦労しているから、夜を巧く表現できることが羨ましく思えてきた。

 カメラといえば、写真でいうアングルの巧みさもある。構図が変わっている。風景の切り取り方がうまいなあと感心させられる。風景写真を撮るときの参考にもなると思う。

 表現技法の中ではほかに、水面の表し方が絶妙だ。水面のゆらゆらしたさま、ぬめっとしたさま、波立って激しく揺れるさまがよく表れている。また、ここでも光と影の表し方が巧いと思うのは、水面に映った建物の表現である。ゆらめく様子がリアルに描かれている。

 リアルに感じられるものとしては、雨粒や雪の降るさまも挙げられる。これらも写真のごとく、一瞬を切り取ったように描写されている。雪の景色の作品もまた多く、雪の重みや表面の柔らかさも、白単色なのによく伝わってくる。それから、鬼気迫るような雪空の灰色も印象的である。

 川瀬巴水は現在の大田区に住んだこともあって、荏原の風景も描いている。だからその作品は、私の荏原をめぐる旅に無縁ではないと言える。田園の中に松林のある池上、だたっ広い川原の向こうに深い森の見える矢口、大きな松の木に月がかかった馬込など、今では想像のつかないようなかつての荏原が生き生きと描かれている。そんな昔の荏原にも触れられる特別展であった。



にほんブログ村 歴史ブログへ

にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ

にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
[PR]
by ebara_explorer | 2007-11-21 22:53 | その他

品川歴史館

e0123189_23304829.jpg

 以前から行きたいと思っていた品川歴史館を訪れた。ここは品川区の郷土資料館である。荏原にある郷土資料館の中では一番充実しているところであると言える。場所は大井町駅と大森駅の中間地点くらいにあり、私は大井町駅から暑い中を歩いて行った。

 建物は新しく、館内の展示もきれいであった。冷房が良く効いていて、誰もいない展示室でその冷気を独占しながら歴史に触れられるのは、気分が良かった。

 品川の歴史というと、やはり東海道品川宿がメインである。一階の常設展示室では、その品川宿の模型が展示の中心となっており、それを取り囲むようにして編年の展示が並んでいた。

 私が注目したのは品川宿ではなく、自分が興味を持っている中世の展示である。中世の品川は、関東でも有数の港町として繁栄していたということである。その様子は、明徳三年(1392)の『湊船帳』で窺い知ることができる。中世の品川に船の出入りがかなりあったことがわかる。この文書の複製が展示されていた。

 また、現在は閑静な住宅地として知られる御殿山は中世、船が航行する際の目印となる「当て山」であると同時に、霊場でもあったと説明されていた。御殿山からは、14世紀から15世紀にかけての板碑、五輪塔、宝篋印塔、人骨などが見つかっているという。それらは法禅寺というところに祀られているそうだ。中世の霊場は都市の周縁部にあったとされるが、御殿山も中世港町品川の周縁部に当たるのだろう。

 中世の展示で他に目を引いたのが「円融寺金剛力士像胎内納入木札」だ。目黒の碑文谷にある円融寺の金剛力士像から見つかった札である。永禄二年(1559)の銘があるという。そこには「武州荏原大井之内碑文谷村」と書かれている。大井とは、ちょうどこの大井町のある辺りを指すのだろう。内陸の碑文谷村が「大井之内」とされていたのは興味深い。解説によれば、当時の大井は立会川沿いに発展していたためその水源地に当たる碑文谷が大井に属していたのだという。川による地域のつながりを知ることができた。

 江戸時代の展示はどうしても宿場のことが中心だが、私はそれ以外に注目した。品川宿というと、江戸の町の中に入っているようで、荏原という立場から歴史を見ている私には扱いづらい。品川宿にはまると、そのまま江戸の町に引きずりこまれそうな気がする。

 それでまず見たのが漁業についてである。品川には江戸時代、江戸城御用の鮮魚を納める八ヶ浦のうち、品川浦と大井御林浦の二つがあったという。品川と漁業といっても今ではピンと来ない。海苔の生産もあったそうだ。それから農業では、寛文九年(1669)に品川用水の開かれたことが大きな画期となり、タケノコ、長ネギ、ニンジンといった特産物が生まれたという。こういう側面を知ることが、荏原をめぐるときには役立つように思う。

 江戸時代の信仰についての展示もあった。信仰は最近私が特に注目しているものなので目を引いた。それによると品川では、内陸においては庚申講が最も行きわたった信仰であり、沿岸においては富士講、大山講など、山にある神社に参詣する山岳信仰が盛んであったという。この違いを知っておくことは、これから荏原をめぐる際に重要なポイントとなるだろう。

 こうやって展示を見ることで、私はかなり刺激された。いろいろと行きたいところも出てきた。これからの史跡めぐりがさらに面白くなってきそうだ。



にほんブログ村 歴史ブログへ

にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ
[PR]
by ebara_explorer | 2007-08-25 23:33 | その他