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自由が丘の石仏

 さて、八幡めぐりは追々進めるとして、まずは身近な史跡から入ってみたい。家の近所にある石仏巡りだ。
 私が初めて、史跡巡りらしいものをしたのは、小学校3年生の頃ではないかと思う。社会科の授業でテーマとなったからである。そのとき訪れたのが、近所にある路傍の石仏である。我が家から歩いて10分とかからない。これらの石仏はそれ以来、そばを通るたびに気にしていたが、史跡巡りの対象として訪れるのは、小学校以来のことである。
 小学6年生で本格的に日本史を学び始めて以来、私の興味関心は、次第に遠くの有名な史跡へと向けられるようになっていった。大きな城であったり、立派な寺であったりと、興味の対象はどんどん外へと向けられていった。だが、三十年近く経った今、私の興味対象はまたここへ戻ってきた。

 最初に訪れたのは、目黒区自由が丘三丁目一番地にある道しるべだ。
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 目黒通りに面した大きな家の角にある。朱書きで大きく「左九品仏江」と書かれているのが印象的だ。私が初めて見たときから変わらぬ姿でここにある。ただ、以前にはなかった目黒区教育委員会の案内板ができていた。
 その説明によると、これは「高台座付丸彫地蔵像塔」であるという。道標の上に、たしかにお地蔵様が載っている。だから石仏と言っても良いのかもしれない。
 道標の正面は「左九品仏江」であるが、左面には「南無妙法蓮華経」、右面には「南無阿弥陀仏」と刻まれているという。ちょっと見にくいが、左面には独特の跳ねるような字体で「南無妙法蓮華経」が見えた。また背面には年号が刻まれているそうだ。寛保四年とあるから、西暦1744年に当たる。江戸時代の中頃だ。
 この道標は、九品仏にゆかりの者が建てたという。九品仏とは浄真寺のことを指す。その名の通り、九品阿弥陀仏が安置されている浄土宗の寺だ。それで「南無阿弥陀仏」が刻まれているわけである。だが、なぜ反対側に「南無妙法蓮華経 」と刻まれているのだろうか。これは日蓮宗の題目である。
 案内板によれば、当時この辺りには、日蓮宗の信者が多かったのだという。それで道標を建てるにあたり、日蓮宗の題目の刻印を承諾させられたという言い伝えがあるそうだ。この辺りに日蓮宗の信者が多かったとは知らなかった。驚きである。もっとも、近所には立源寺や常円寺といった日蓮宗のお寺があるから、頷ける。それらの寺の檀家になっていた人が多かったのだろう。そういえば子供の頃近所で、寒い時季に太鼓を叩いて題目を唱えながら歩く人々を見たことがある。あれも日蓮宗の信者だと思う。

 灯台下暗し、というか、今更ながら自分の足元の地の新たな歴史を知ったことに恥らいつつ、目黒通り沿いを少し東へ向かう。すると東南へ切れ込む道がある。この分岐点にも石仏がある。こちらは庚申塔だ。目黒区中根一丁目二十五番地にあたる。
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 ここの庚申塔にも思い入れがある。同じく小学生のときに見学したことがあるからだ。自分の名前を音読みすると庚申と同じになるので、何となく庚申塔には親しみを感じていた。また、庚申塔には見ざる・聞かざる・言わざるの猿が刻まれているという話も、子供には親しみやすかった。
 ただ、この石仏を取り巻く景色は少し変わっていた。昔は木の覆いだったのに、今では立派な石造りの覆いになっていた。また、左後ろに大きな枯木の幹が突っ立っているが、子供の頃はまだその木が元気に生い茂っていたように思う。背後にあるマンションも建て変わっていた。でも、石仏の脇にはやはり教育委員会の案内板ができていて、これはありがたかった。
 説明によると、二体のうち右は庚申塔だが、左は馬頭観音であるという。私は二つまとめて庚申塔だと思っていたが、左の像の頭上には馬頭の痕跡があるそうだ。しかも驚いたことに、明治六年の銘があるという。江戸時代のものだとずっと思っていたが、明治になってから建てられたものなのだろうか。馬頭観音は馬を供養するために造られるものである。目黒通りは、古くは二子道という。馬の行き交うような通りであったことが窺える。
 右は紛れもなく庚申塔であるという。青面金剛が彫られているからである。江戸時代に流行した庚申信仰は、地縁的な講集団が六十日毎の庚申の夜に集まって、青面金剛に祈るものである。この辺りにもそうした集会を行う講があったのだろう。私の足許にも、しっかりと歴史は刻まれている。それを改めて実感できた最初の旅であった。

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by ebara_explorer | 2007-05-30 18:45 | 石造物

八幡宮めぐり

 さっそく荏原の史跡巡りに出かけようと、まずは地図を眺めた。寝転がって地図帳を見たり、インターネットのスクロール地図上で荏原を行ったり来たりした。地図上で史跡を探すときは、寺や神社のマークに目をつける。目黒・世田谷・大田・品川という見慣れた地域の地図だが、改めて眺めてみると、寺社が数多くある。
 そんな中、目に付いたのが八幡神社である。荏原には八幡神社が実に多い。もっともこれは荏原に限ったことではなく、全国的な傾向と言えるだろう。

 八幡神社の総本家は大分の宇佐八幡宮である。この神様が日本中に勧請され、全国のあちこちに八幡神社が存在する。有名なところでは、京都の石清水八幡宮、鎌倉の鶴岡八幡宮などが挙げられる。すべての神社の中で八幡神社の数は、稲荷神社に次いで二番目に多いとも言われている。
 八幡神社が勧請された理由としては、大きく次の二つが挙げられるのではないかと思う。一つは宇佐八幡宮や石清水八幡宮の荘園となった地に、領主である八幡社が分祀され、その荘園の支配および信仰の中心となったというものである。もう一つは、武家の信仰に基づくものである。八幡神は源氏の氏神とされており、源氏の厚い信仰があった上、武家の守護神としても鎌倉時代以降、全国に信仰が広まり、八幡神社が各地に勧請された。

 そういうわけで、荏原にも八幡神社が多いわけであるが、これはやはり注目に値する。どのくらいあるのかと数えてみると、わかる範囲で目黒・世田谷・大田・品川の四区内に三十の八幡神社が見つかった。
 私はそれらのすべてを訪れてみたくなった。そしてその由緒を調べて、八幡信仰の広がりというものを改めて確かめてみたいと思った。早くも大きなテーマができた。いざ、八幡めぐりの旅に出陣である。
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(写真は春の碑文谷八幡宮参道)

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by ebara_explorer | 2007-05-29 20:00 | 八幡宮めぐり

歴史を求める新たな旅の始まり

 歴史が好きだ。特に日本の中世史が好きだ。大学では日本中世史を専攻し、卒業してからも、暇を見ては中世史に関わる史跡を巡る旅に出かけてきた。史跡を訪れることが、歴史に触れる最良の方法だからである。たとえ今は何もない野原であったとしても、史跡の地に立てば中世に触れることができる。はるか昔に近づくことができる気がするものである。特に史跡についての知識があればあるほど、その想いは強くなる。

 中世の史跡は日本各地にある。お寺や神社であったり、城の跡であったり遺跡であったり、石仏であったり石塔であったりする。だが私はいつも、遠くにある中世の史跡を求めていた。その地へ旅立つことを夢見て日常を生きていた。

 そして、実際に旅立つことができるときにはこの上ない歓びがあった。列車に乗り、バスに乗り換え、自分の足で歩いて、土地の人に道を聞いて、最後はあえぎながら坂を上って史跡にたどり着く。そのときの歓びは何にも代えがたいものであった。例えどんなに小さな石塔が一つポツンとあるだけだったとしても、中世に触れられたという満足感があった。胸がいっぱいになった。そこで何百年も昔に想いを馳せ、いろいろと考察する。それが楽しかった。そうやって私は、日本各地を旅してきた。

 しかし、年を経るごとに、そうした中世を求める旅に出る機会が少なくなってきた。次第に多忙な日常へ縛られるようになっていったからである。実際に旅をすることはもちろん、旅のために知識を深める余裕もなくなってきた。それでも、歴史には憧れる。中世に触れていたいと思ってきた。

 そんな折、ふと足許に目を転じた。私が生まれてこのかた住んできた地である。東京都目黒区だ。ここも日本である。都会の只中ではあるが、この地にも、脈々と刻まれてきた歴史がある。中世史もある。そんな歴史に触れてみるのはどうだろうか。史跡まで、家から歩いて行ける。自転車で行ける。余裕の少ない生活の中ではぴったりの史跡巡りである。また、都会の中で意外な発見があるかもしれない。

 そういう想いから私はここに、新たな歴史を求める旅へ出ることとした。そしてその旅の記録を重ねていこうと思い立った。題して「東京荏原歴史物語資料館」である。荏原とは、東京都目黒区を含む地域の旧郡名である。旅の対象を目黒区に限らず、その周辺も含めたいという考えからこの名前とした。また、時代の対象も中世を中心としながら、幅広く捉えていきたいと考えている。

 さて、旅立ちにあたり、対象の地域を概観しておきたい。荏原郡はかつての武蔵国の一郡であり、現在の東京23区の中では南西部にあたる。おおよそ品川区・目黒区・大田区・世田谷区がその範囲に含まれる。地形的には武蔵野台地の東端に位置し、いくつもの川が谷筋を作る起伏の激しい地域である。

 この荏原にある谷底の一つで生まれ育ち、今も住み暮らしているのが私である。その地元の歴史を見直すべく、また身近な史跡に触れるべく、いざ旅立ちたい。日常の中でどのくらい旅の記録を重ねていけるかわからないが、このブログを続けていきたいと思う。そして何よりも、歴史に触れる旅を楽しみたい。
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(写真は荏原を流れる呑川の春)

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by ebara_explorer | 2007-05-26 10:00 | 序章