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九品仏みち

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 千束八幡神社を見学した後、洗足池の池畔を巡って中原街道へ出た。街道沿いを西へ向かって少し歩いて行くと、沿道に「庚申塚」と書かれた大きな石塔が見えてきた。大田区南千束二丁目二十九番地である。予期していなかったところに史跡が現れ、驚いた。

 大田区教育委員会により設置された案内板によると、この石塔は文化十一年(1814)に建てられた庚申供養塔であるという。塔は角柱型になっているが、このような形は江戸時代後期に特徴的なものだそうだ。

 背面には建立のいわれが刻まれている。品川の御忌講の人々が建てたとされている。御忌講とは、案内板によれば浄土宗を信仰する人々であるという。

 注目すべきは、塔の右面に「従是九品仏道」と刻まれていることである。この塔は中原街道から分岐する道の角に建てられている。庚申供養塔という信仰のものであると同時に道標の役割も果たしているわけである。「従是九品仏道(これよりくほんぶつみち)」ということは、ここから九品仏浄真寺へ向かう道が中原街道より分岐していたことになる。

 大田区教育委員会は「この地点が中原街道から浄真寺に至る旧道の分岐点に当たることは古い地図からも確認できる」と案内板に書いている。私はそれを読んだ瞬間、その場で「古い地図」を見たくなった。同時に、この「九品仏道」探訪というテーマができたことにこの上ない歓びを覚えた。ワクワクしてたまらなくなってきた。必ずこの旧道を突き止め、九品仏浄真寺までたどり着きたいと思っている。

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by ebara_explorer | 2007-06-24 23:59 | 古道

千束八幡神社

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 八幡宮めぐりの旅を始めたい。まず訪れたのは、大田区にある千束八幡神社である。八幡宮めぐりに特に順番はない。思い付いた順に訪れたいと思っている。

 千束八幡神社は大田区南千束に鎮座する。洗足池のほとりにある小さな社だ。洗足池は鎌倉時代の昔、身延山から本門寺へ向かう途中の日蓮上人がここで足を洗ったことからその名があるというが、千束八幡神社の歴史はそれよりも古いそうだ。

 神社の由緒書きによれば、創建は平安時代の貞観二年(860)という。宇佐八幡宮を勧請して千束郷の総鎮守としたのが始まりとされている。千束郷は八幡宮と関わりがあったのだろうか。

 その後、平将門の乱で鎮守府副将軍として派遣された藤原忠方が池畔に居を構え氏神としたり、後三年の役で奥州へ下る途中の源義家が戦勝祈願をしたり、源頼朝が安房から鎌倉へ向かう途中にここへ陣を構えて平家討伐の幟旗を掲げたりと、東国の古代・中世史における画期に大きく関わっているようである。ちょうど池の南を中原街道という古道が走っていることから、ここは古来交通の要衝であったのだろう。

 また、源頼朝の故事に因んで、この八幡神社は旗挙げ八幡ともいうそうだ。さて源頼朝が陣を置いたとき、どこからか青い毛並で白い斑点のあるの馬が一頭やって来たので、郎党がそれを捕らえ頼朝に献上したという。この馬の姿はまるで池に映る月のようであったことから、池月と命名されたそうだ。池月はその後、佐々木高綱に下賜され、宇治川の戦いで先陣争いの一番乗りを果たしたとされている。本殿の脇には池月の姿を描いた大きな絵馬が飾ってあった。青い馬なんて本当にいるのだろうか。見てみたいものだ。

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 このように千束八幡神社は多くの由緒書きを持っている。宇佐八幡宮の勧請という端緒から、源氏に関わる逸話にも事欠かず、八幡宮縁起の典型のような由緒である。

 だが、その割には境内が狭いという印象であった。もっとも、神社を含む池の周囲が公園になっているから、そこをすべて境内と見ればかなり広い。

 ただし、池畔にはもう一つ社がある。弁財天である。八幡神社の境内が池畔の西側、いわば脇にあるのに対し、こちらの弁財天は池の一番奥に鎮座している。弁財天の境内もさほど広くないが、池の一番重要な位置に堂々と鎮座している印象がある。

 また、私が千束八幡神社を訪れたのは六月中旬であったが、弁財天では六月十七日に大祭が開催されるようで、その案内が八幡神社の本殿にも掲げられていた。両社の関わりはどのようなものなのであろう。弁財天といえば、水に関わる神とされる。荏原には弁財天も多いようだ。農業との関わりがあったからだろう。八幡めぐりとともに、弁財天めぐりもしなければならないと思った。

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by ebara_explorer | 2007-06-24 23:57 | 八幡宮めぐり

鉄飛坂帝釈堂

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 前回見た、品川道の途中にある鉄飛坂帝釈堂(目黒区平町二丁目十八番地)は、看過できない史跡である。品川道をたどる旅を始めた私もここで足を止めずにはいられなかった。この帝釈堂には、庚申塔が納められている。

 目黒区には庚申塔が多い。目黒区のホームページにも、区の歴史の中で、庚申塔のことが取り上げられている。それによると、区内には約七十基の庚申塔があるという。庚申塔は、最も身近な史跡であるといえる。

 現地の案内板によると、この鉄飛坂帝釈堂には三基の庚申塔が納められているという。またこの三基とは別に一基の題目塔があるそうだ。

 題目とは、先の九品仏道標でも見た日蓮宗の「南無妙法蓮華経」という題目のことである。また一基には帝釈天の画像が描かれているようだ。この堂が「帝釈堂」と呼ばれる由縁であろう。年代は江戸時代から明治時代にかけてのものである。

 案内板は、日蓮宗の題目または帝釈天を中心とした塔であることと、庚申塔による講が地元の人々により今日も続けられているところに特色があると結んでいる。ただし今日といっても、この案内板が設置されたのは昭和五十八年三月となっている。現在まで続けられているのかどうかはわからない。

 それにしても、また日蓮宗に関わりのある史跡が出てきた。やはりこの辺りは、日蓮宗の影響が相当強いのであろう。案内板を読み、それを改めて感じながら堂の周囲を見回してみると、いくつかの石塔が目に付いた。これらも庚申塔なのだろうと思って近寄ってみると、一つは道標のようであった。それには「左ハ池上 右ハほりの内」と刻まれている。

 この石塔は東向きに建っており、確かに左手の南に大田区の池上がある。池上とは、日蓮宗の古刹池上本門寺のことを指しているのではないか。坂の下を流れる呑川沿いに下って行けば、まさに本門寺に出られる。それとも、この鉄飛坂と交差するように、池上へ向かう往還があったのだろうか。

 一方、右の「ほりの内」とはどこであろうか。漢字で書けば「堀ノ内」だろう。ちょっと考えると、環七通り沿いの「堀ノ内」が浮かんだ。杉並区内だっただろうか。その辺りに何か、日蓮宗に関わる重要なポイントがあるのではないかと思う。私は、この道標が日蓮宗に深く関わっているのではないかと考えたからである。

 帰宅してからインターネットのスクロール地図を広げると、探し物はすぐに見つかった。杉並区堀ノ内には、妙法寺という日蓮宗の古刹があった。いわれを見るとこの寺は江戸時代から庶民の間で「堀の内のおそっさま」と呼ばれ、厄除け信仰が盛んだったという。道標が指している「ほりの内」は、この妙法寺に違いないと思った。鉄飛坂帝釈堂の道標は、日蓮宗に深く関わるものであるといえるだろう。

 近所の歴史を少し掘り返しただけで、この地域における日蓮宗の影響の大きさをひしひしと知った。これはやはり、荏原郡内最大の古刹と言える池上本門寺の影響が強いといえる。荏原の歴史を学ぶ者にとって、池上本門寺はあまりにも巨大な存在である。

(写真は帝釈堂脇の庚申塔である。この後ろに問題の道標がある。)

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by ebara_explorer | 2007-06-14 23:59 | 庚申塔

品川道を追って

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 前回取り上げた庚申塔は、目黒通りとそこから分岐する通りの角に位置している。分岐する通りは目黒通りから南東へ斜めに伸びていて、庚申塔のある角は鋭角になっている。区の庚申塔案内板によれば、この地を「中根西三叉路」というそうだ。ここに古くからの庚申塔があることから推測されるとおり、二つの道は古道である。

 現在の目黒通りは二子道と言って、目黒から二子玉川へ通じる古道であった。鎌倉街道の一つであるとも言われているが、その辺りの考察はまた別の機会にしたい。ここで注目したいのはもう一つの道である。これを品川道というそうだ。

 この道が古道であるということは、幼い頃から知っていた。郷土史のガイドブックに書いてあったように記憶している。実際、幅が中途半端に広いし、道がまっすぐでない。沿道には大きな老木があったりする。それに史跡も多い。

 庚申塔の先をたどって行くと、東急東横線の線路を踏切で跨ぎ、そのすぐ先には立源寺という日蓮宗の古刹がある。お寺の先で道は下り坂となる。呑川の谷に下っていくためである。その坂の途中に大きな家がある。岡田家という江戸時代の名主の家だという。この家の門は長屋門といって、江戸時代に建てられたものがそのまま残っている。小学生の頃に見たときはずいぶん大きな門に見え、驚いたものである。

 坂を下りきって呑川を越えると、今度は上り坂となる。鉄飛坂という名が付いている。鉄飛とは、この坂の上辺りの地名だそうだ。かつてポルトガル人のテッピョウスが住んでいたとか、鉄砲鍛冶がいたからこのような地名になったと言われている。どちらにしても珍しい由緒のある坂だ。坂の途中にはまた庚申塔があって、帝釈堂というお堂に納められている。

 帝釈堂からさらに道なりに行くと、環状七号線にぶち当たる。環七との交差点には信号がなく、大通りの中央分離帯は柵で分断されている。古道が現代の大通りによってぶった切られている格好だ。

 この先、古道はどういう道筋をたどっているのか、まだ確認はしていない。品川道というからには、必ず品川までつながっているのだと思う。ぜひ品川まで踏破したいと小学生の頃から思ってきたが、そのままになっている。 この探訪の続きを、これから再開したいと思う。

(写真は品川道に面する岡田家長屋門)

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by ebara_explorer | 2007-06-12 21:40 | 古道