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蒲田の梅園

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 荏原における安藤広重「名所江戸百景」をめぐる旅のうち、どうしても今の時期に訪れておきたいところがあった。それは「蒲田の梅園」である。この絵は梅の咲く頃のものである。そこで梅の咲いている頃にその地を訪れてみたかった。二月も末日の迫った今日、その「蒲田の梅園」を訪れてみた。描かれた「蒲田の梅園」は現在も存在している。

 東海道の沿道にある蒲田の地は古くから梅の木の栽培が盛んで、梅干が名産にもなっていた。そのうち梅の花が鑑賞されるようにもなり、江戸時代には亀戸と並んで梅の名所として知られるようになったという。中でも有名だった梅園が、東海道筋で「和中散」という道中常備薬を売る山本久三郎の庭園であった。そこには近在から梅の木を集めて植えるとともに池が造られ、茶屋も設けられたので、人々が集まり大いに賑わったそうだ。「名所江戸百景」に描かれた梅の風景も、この山本久三郎の梅園であるとされている。この梅園の一部が現在、梅屋敷公園として整備されている。まさにそこが「名所江戸百景」の地ということになる。

 京浜急行梅屋敷駅で下車し、第一京浜国道沿いに出て、少し南へ行ったところに梅屋敷公園はある。山本久三郎の庭園はかつて三千坪もあったと言われるが、公園はさして広くなかった。また、東側が国道に面して車の喧騒の中にあり、しかも西側は京浜急行の立体化工事のため一部の用地が占用され、白い工事用フェンスが立ち並ぶというさまであった。

 その間のわずかな隙間に、梅の木が並んでいた。早咲きの二、三本が花を揃えているほかはまだ五分咲きといったところで、公園全体として咲き揃うにはまだ間があるようであった。
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 園内の中央には池があった。しかし、申し訳程度に水溜りができているのみで、風流を楽しむには程遠い状況であった。

 また、梅の背景にも、大きなビルや線路工事用の機材が入ってしまい、雰囲気は残念ながら良くなかった。それでも「名所江戸百景」の景色が、かろうじて残っているのを良しなければならないだろう。
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 かつては東海道を行く旅人たちが、花の色香に足を留めたに違いない。まだ寒い今くらいの時期にあって、旅人たちは春の訪れを梅の花から感じたことであろう。



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by ebara_explorer | 2008-02-28 17:16 | 名所江戸百景

はねたのわたし弁天の社

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 玉川弁財天の前から多摩川の堤防に沿って上流へ歩いた。この辺りの川岸には釣り船や屋形船が何艘も係留されている。それを横目にしながらしばらく歩いて行くと、橋が見えてくる。首都高速横羽線の大師橋と、その向こうにもう一つ、産業道路の大師橋がある。横羽線大師橋をくぐり二つの橋の間に入れば、その辺りはかつて、渡し船が通っていたところだ。これは羽田の渡しと呼ばれ、あの「名所江戸百景」に描かれている場所である。

 川沿いの道端に、大田区の建てた碑があった。それによると、羽田の渡しは、小島六佐衛門組が営んでいたので「六佐衛門の渡し」とも呼ばれていたそうだ。渡し場付近の川幅は約40間(80m)くらいで、対岸から「オーイ」と呼ぶと聞こえるくらいであったという。

 ここを行き来していた船は二、三十人が乗れるほどの大きなものだったそうで、人間のほかに魚介類、農産物、衣料品など生活に必要な物資も運ばれていたということである。

 この渡しはまた、江戸から川崎大師へ参詣するときの要路でもあったそうだ。川崎大師参詣の道程は通常、東海道をまっすぐ行き、六郷の渡しで多摩川を越え川崎宿に入っていた。しかし、東海道を途中の蒲田の先で左折し、のどかな風景の中を歩いて羽田の渡しに出る道筋が次第に多くの人に利用されるようになったとのことだ。この道程では川崎宿を通らないため、川崎宿からは商売に差し支えるので羽田の渡しの通行を禁止してほしいという訴えが出るほどであったという。

 羽田の渡しは、昭和14年(1939)に大師橋がかかるまで運航されていた。今は横羽線の大師橋もできて、大きな橋が二つもある。こんな立派な橋が二つもあれば、渡し船など出る幕もないなと思った。

 さて、かの「名所江戸百景」の羽田の渡しは「はねたのわたし弁天の社」と題して、玉川弁財天とセットで描かれている。玉川弁財天は、河口に突き出た小さな島にちょこんと存在している。島の先の方には常夜燈もぽつんと見える。何とも心細いところだ。そして、手前には渡し船を漕ぐ人の足と櫓、綱が三角形を描く構図になっている。

 現代の羽田の渡しは、東京都側から伸びる二つの橋が、対岸の神奈川県側で交差するようになっている。実際は横羽線の高架下に産業道路が入る形となるのだが、二本の橋と川の流れが三角形を形作っている。これが現代版「はねたのわたし」の三角形だな、と私は思った。
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(最初の写真は大田区が建てた碑のレリーフである。)



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by ebara_explorer | 2008-02-23 14:25 | 名所江戸百景

玉川弁財天

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 穴守稲荷神社の南に弁財天があるのを地図で見つけた。弁財天も水辺の史跡として訪れているから、気になる存在である。その場所は多摩川の河口近くでもある。

 稲荷神社を出て、住宅街の中の道を抜けて弁財天へと向かう。弁財天のある多摩川の河口付近は荏原の端っこである。そこへ近付くうち、何だかずいぶん遠くへ来たような気がしてきた。そして、大げさかもしれないが、世の果てに近付くような気分にもなってきた。

 川べりに出た。川とも海ともつかぬ広い水面のすぐ向こうにすぐ、羽田空港の施設が見えている。東京の先端だ。
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 玉川弁財天は、川沿いの堤防の下にひっそりとあった。堤防上から、紅く塗られた階段を伝って下りて行く。弁財天に隣接して、水神社という小さな社がある。かつて羽田にいた漁民が、漁場である海上の安全や、大漁を祈願していた神社であるという。水波乃咩命が祀られているが、草創などに関する由緒は明らかでないそうだ。小さな社殿の前に、白く塗られた鳥居が立っている。それが何となく海の神らしかった。そしてこの地もともと、水神社の境内である。玉川弁財天は、ここへ移されてきたものである。
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 玉川弁財天はそもそも、要島という、今は羽田空港の敷地になっているところにあった。それが穴守稲荷神社と同様、昭和20年(1945)に強制退去させられたため、現在地に移されたという。
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 この弁財天には、江ノ島にある弁財天と同体で弘法大師作の本尊を祀っているとか、多摩川上流にある弘法大師開創の日原山から霊光を発する宝珠が流れて来て、この辺りに止まっていたのを土地の人が祀ったといった言い伝えがある。

 弁財天の堂のところにもいわれを記した手書きの案内板があり、それによると、ここに祀られている弁財天には弘法大師「空海作」という銘があるそうだ。また弘法大師が護摩の灰を固めて刻んだものだという言い伝えもあるとのことだ。どの説をとっても弘法大師が出てくるということは、真言密教に関わっているのだろう。

 案内板には、ここの弁財天は広島の厳島神社、江ノ島の弁財天と並び日本三弁天の一つであると誇らしげに書かれていた。これまで私が荏原で見てきた弁財天は、いずれも内陸の水源に祀られたものであったが、ここの弁財天は、海に関わるものであると言える。そういう意味では、少し異質な弁天様である。

 弁財天は小ぢんまりとしているがどっしりとした堂であった。水神社のところには鳥居があるが、こちらにはないから「社殿」ではなく「堂」と言って良いのだろう。お参りをするときも、拍手は打たなかった。
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 堂の右手には小さな池があり、真ん中には祠があった。音がするので近寄ってみると、カメがのそのそと動いていた。
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 再び堤防の上に出て、羽田空港の方を眺めた。玉川弁財天はもともと羽田空港の敷地内にあったという。だから、これから羽田を飛び立つときは、必ずこの弁財天に想うようにしようと私は思った。



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by ebara_explorer | 2008-02-17 17:28 | 水辺

穴守稲荷神社

 地図上で荏原を眺めていると、いつしかお稲荷様の多いことに気付き、八幡宮めぐりとともにお稲荷様めぐりもしてみようと思い立った。そして、地図や資料を駆使して、荏原のお稲荷様リストを作っていった。リスト作りにはそのうち異様なまでに熱心になった。狐様に取り憑かれていたのかもしれない。気が付くと、荏原の中で見つけたお稲荷様の数はなんと138に上っていた。これはとんでもないことになった。すべてをめぐることができるだろうか。不安になってきた。 


 そんな中、荏原で最も有名な稲荷神社といえばどれだろうと考えた。それはやはり穴守稲荷神社であろう。京浜急行の駅名にもなっているし、かつてはかなり隆盛を極めた社のようである。それで、荏原のお稲荷様めぐりをしていく上で、早いうちに行ってみようと思い立ち、出かけた。

 穴守稲荷神社は江戸時代後期、現在の羽田空港敷地内にあった鈴木新田の堤防に穴があかないように田畑を守る神として祀られたのが始まりとされている。それまで鈴木新田では、暴風や津波のたびに堤防の空穴から海水が浸入して、大きな被害を受けていたそうだ。そこで、堤防の「穴を守る」という意味を込めてこの社が建てられたという。

 明治時代になると、地元の有志が社の振興策として公衆参拝の許可を得た。すると神社は、魚貝業者や花柳界、さらに一般の商売繁盛祈願の人々の間で大流行となったそうだ。広大な土地に社殿が新築されるとともに、海岸という場所柄にも恵まれて、海浜リゾートやレジャーとあいまって発展したという。その後、付近で鉱泉が掘り当てられたため、料亭や旅館、芸妓の置屋などが進出し、周辺は大繁華街となったそうだ。また京浜電車が社前まで乗り入れ、参道にはおびただしい数の茶店や土産物屋が並んでいたということだ。

 しかし昭和20年(1945)9月、進駐米軍によって現在の羽田空港一帯が接収されることとなったため、穴守稲荷神社は強制退去を命じられた。そのため近くの羽田神社へ合祀されてしまった。その後、現在地に再建されたが、もはや昔日の面影はないと言えるだろう。尚、現在も羽田空港内には大きな鳥居がかつての穴守稲荷神社の遺物として残っているという。


 現在の最寄り駅は京浜急行空港線の終点羽田空港駅から二つ手前の穴守稲荷駅である。今は空港へのアクセスを主目的としているこの路線も、その始まりは穴守稲荷神社参詣のためであったと言える。

 駅から神社までは少し距離がある。だが、駅舎を出るとさっそく目の前に紅い鳥居が見えてきた。有名な観光地みたいで、ちょっとうきうきしてきた。しかし、神社の方へ向かう道は狭かった。道が合っているのかどうかと不安になりかけたころ看板が現れ、あと100m程とのことであった。そのまま道を進んだが、境内の南側入口を通り過ぎてしまった。というのも、入口の鳥居に青い覆いがかけられていて、それと気付かなかったからである。この覆いは境内の一つを残して他の鳥居にもかけられていた。訪れたのは師走であったから、正月に向けて鳥居の朱を塗り直していたのであろうか。
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 参道を奥へ進む。境内は広い。と言っても、荏原の他の鎮守と同じくらいの広さではある。しかし、街中の小さなお稲荷様ばかり見てきた身からすると、稲荷神社としてはうんと広く感じられる。ただ、かつての繁栄が大きかっただけに、その殷賑も今はいずこであり、訪れる参拝客はまばらであった。それでも正月ともなれば大混雑になるのであろうか。
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 狐様に見守られながら正面の拝殿にお参りを済ませ、拝殿の右手に回ると、紅い鳥居がぎっしりと立ち並んでいた。こういうところはいかにもお稲荷様らしい。
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 恐る恐る鳥居の暗闇を潜り抜けて行くと、奥の宮(お穴様)があった。拝殿前の案内板によれば、ここの砂を持ち帰ってまくと、営業繁昌、家内安全、病気平癒等の神徳が得られるとのことであったが、そこにはおびただしい数のミニチュアの鳥居が奉納されていた。こういうものを見ると、人々の祈りというものがグッと伝わってくる。
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 奥の宮の裏手にはさらに道が続いていた。細いところへ入って行くと、岩山のようになっていた。途中には「福徳稲荷社」や「幸稲荷社」といった小さな祠が並んでいる。その一つ一つへ丁寧にお参りして行く人の姿も見られる。どれもめでたい名なので、私もついつい手を合わせて行った。まるで巡礼のようである。
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 そして上り詰めたところには何と御嶽神社があった。これはお稲荷様とはまた別物である。何を意味するのであろうか。そういえば道の途中には富士講碑のようなものもあった。それは御嶽講のものであったのだろうか。どうやらこの奥の宮は穴守稲荷神社がこの地に遷座される前から存在していたようである。奥の宮は、そうした以前からの信仰と、新しい穴守稲荷の信仰が複雑に絡み合っているのではないだろうか。
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 参道を引き返して南側の入口近くまで来ると、また別の碑を見つけた。いくつかの碑には「宝珠講」と書かれていた。これはどんな講なのであろうか。いろいろと興味深い穴守稲荷神社であった。

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by ebara_explorer | 2008-02-08 20:49 | お稲荷様