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目黒千代が池

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 荏原の「名所江戸百景」の中で、もう一ヵ所桜の時季に訪れておきたいところがあった。それは「目黒千代が池」である。先の「品川御殿やま」と同じように、桜の風景が描かれた場所である。そこは現在の目黒駅北側の台地にあたる。かつては千代が崎という地名であった。

 この「目黒千代が池」の風景は実に良い。段々になった滝が千代が池に流れ込みその周囲にひっそりと桜が咲いている。千代が池の名は、南北朝時代の武将新田義興の侍女千代に由来するとされている。千代は新田義興が正平十三年(1358)に足利基氏・畠山国清らに矢口渡で謀殺されてしまったとき、悲しみの余りこの池に身を投げてしまったという。そんな伝説もあって、この桜の名所は「品川御殿やま」と違い、何かしっとりとした感じを受ける。

 この千代が崎の辺りは、江戸時代になると、島原藩主松平主殿頭の下屋敷になったという。中でも千代が池のあるところは特に景色が良く「絶景観」と名付けられていたそうだ。また、台地の上からは西側に富士山、東側には品川の海も見えていたという。

 現在の千代が崎は、目黒駅近くの建て込んだところで、ビルやホテルや住宅が並び、もはや「絶景観」のかけらもない。それでもかつて千代が池のあったところとされる東京都教職員研修センターの敷地内には、あまり観る人もない桜が何本かひっそりと咲いていた。それがかろうじて「絶景観」の名残ではないかと思うことにした。

 東京都教職員研修センター前の道は西へ向かう下り坂になっている。かつては富士山も望めたのであろうが、今は坂下の目黒川の水面も見えないほど建物が視界を阻んでいる。

 坂を下りて道なりに目黒川沿いに進むと、田道橋に至った。この橋を挟んだ両側には川に沿って桜並木が続いていた。枝が川面にせり出したさまは、絶景観というほどではないにせよ、なかなか見事な咲きぶりであった。

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by ebara_explorer | 2008-04-24 17:17 | 名所江戸百景

品川御殿やま

 安藤広重の「名所江戸百景」は、四季の風景に分けて描かれている。中でも、春の風景に属するものは、桜咲く風景を描いたものが多い。荏原の中の「名所江戸百景」にも、何枚かに桜の花を見ることができる。そのうち最も有名な桜の名所といえば「品川御殿やま」であろう。この「品川御殿やま」を、桜咲く時季に訪れてみた。

 品川御殿山は北品川にある。徳川家康が江戸に入国した際、御殿を築いたので御殿山と呼ばれるようになったそうだ。その後、江戸の中でも桜の名所として知られるようになった。八代将軍徳川吉宗や十一代将軍徳川家斉が桜を植えたことによるという。

 見晴らしの良い御殿山からはかつて、品川の海を眼下に見ることができたということである。はるか房総の山々を背後にして、その前を行き交う帆掛け舟の白帆が花の散るように見えたそうだ。そんな眺めもあって、各地から花見客が集まるようになり、酒を飲みながら大いに騒いでいたという。

 今、御殿山の地には「御殿山ヒルズ」と称される立派な高層建築がドンと構えている。その高い建物の足元に、わずかばかりの庭園があって、幾本かの桜が咲き揃っていた。御殿山の桜の名残であろう。ただ、小洒落た庭園はどこかよそよそしくて、江戸時代のように宴会をするようなところではなかった。
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 また、大崎から続く御殿山通りにも桜並木があって、こちらも立派に咲き揃っていた。
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 御殿山ヒルズからすぐ海側は、何本もの線路が横切っている。かつては海を行く帆掛け舟を見渡せたというが、今はひっきりなしに行き交う電車を眺めることになる。そんな中、西へと向かう新幹線に、ふと旅情をそそられた。



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by ebara_explorer | 2008-04-15 17:14 | 名所江戸百景

鎌倉みち

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 太子堂八幡神社の由緒で「鎌倉道」が出てきた。これは一般に、鎌倉街道と呼ばれるものである。鎌倉に幕府が置かれてから「鎌倉に通じる道」として呼ばれるようになったものだ。

 荏原にも鎌倉街道に該当する道が何本かあることは知っている。だから、その鎌倉街道を辿ることも、このたびの一つのテーマであるとは認識している。

 しかし、鎌倉街道というのは一本ではない。実際、荏原のある武蔵国には大きく上道、中道、下道の三つがあったことが知られ、荏原には中道、下道の二本が通っていたとされる。ただ、それらも一本ではなく途中で枝分かれしたり、またくっ付いたりしている。

 その上、定義が「鎌倉に通じる道」という曖昧なものだから、はっきりしないところも多いと思う。その時々で力を持った者が、自分のところを通る道を「ここが鎌倉道である!」と言えばそこになっただろうし、また別のところの者が力を持てばそちらへ道筋が変わったかもしれない。要は「これこそ鎌倉道!」というものがないように思う。

 ましてや荏原は現在、急速に宅地化が進んだ地域である。往古の道筋などお構いなしに、幹線道路や建物が次々とできている。江戸時代の道筋を追うことだって、今や至難の業であると言える。鎌倉時代からの道筋を追うことは、もっと大変だ。

 だから、この荏原の旅でも「荏原の鎌倉街道の道筋を完全復元しよう!」などと大それたことは考えないつもりである。

 とはいえ、荏原にも鎌倉街道に関する手がかりはいろいろと残っている。現に太子堂八幡神社の西側の道が「鎌倉道」だったという言い伝えがあったり、その先の道が今も「鎌倉通り」と名付けられたりしているということである。そのような手がかりから、部分的に鎌倉道を追ってはみたいと思う。

 もう一つ近いところでは、駒留八幡神社に近い蛇崩川に「鎌倉山橋」と名付けられた橋があった。蛇崩川は暗渠となっているが、その暗渠上の緑道に「鎌倉山橋」と書かれたポールが立っている。こういうところから、その蛇崩川を横切る道が鎌倉道であった可能性を探ることもできる。実際、この道を北へ辿ると、世田谷通りへ出る直前の左手に庚申塔、馬頭観音、富士講記念碑という史跡の並び立っている一角があり、古くからの道であることが知れる。

 ちなみにここは環七通りの若林陸橋に程近く、蛇崩川と烏山川の分水嶺になっているところだ。そのような嶺上に、庚申塔、馬頭観音、富士講記念碑が固まっているのは興味深いことである。

 このように、地名や橋の名、寺社や史跡の場所から、鎌倉道を追っていくのは楽しそうだ。荏原の歴史を知る一助にもなる。古道めぐりの一環として、これから鎌倉道探索に取り組んで行きたいと思う。



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by ebara_explorer | 2008-04-02 19:50 | 古道