大井原の水神池

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 品川歴史館の前から、西へ続く細い道をひたすら行くと、小さな祠と池が見えてくる。湧水の出る池だ。ここもまた、大井の水神社と同じく、台地の末端から湧き出た水である。昔は地域の人が出荷する野菜を洗った「洗い場」だそうで、水は現在も湧き出ている。池の名を「原の水神池」という。

 池のほとりに祀られているのは水神社で、農耕や日常生活に欠かせない水を確保し続けたいという願いから、地域の人々が祀ったものであるという。現在の祠は明治十二年(1879)に建てられたものだそうだが、水に対する信仰はそのずっと前からあったのだと思う。
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 水神社ということは、ここも大井の水神社同様、弁天様とは違う神様が祀られているのだろう。弁天様というと、池の真ん中に祀られていることが多いが、ここは池から少し高くなったところに祠がある。その辺りからも、この祠に祀られている神様は弁天様とは異なることではないかと思う。

 水神社の祠の左には、小さな石祠があった。この中には供養塔が納められ、塔には「羽黒山 湯殿山 月山 雷里沢不動尊 子浜弁才天 新井川不動尊」の銘が彫られているという。出羽三山の名前があるのは注目だ。

 池の水は清く澄んでいたので、眼病にも効果があるといわれ、人々は眼病が治るとそのお礼に鯉を池に放したそうである。祠の近くに「鯉塚」というものがあったが、その放した鯉を祀ったものであろうか。また、祠の扉の脇には鯉が浮き彫りにされていた。ここの神様が鯉と密接に関わっていることが窺える。
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 今でも池には鯉がいる。また、亀の姿も見えた。しかし、池の周りには金網が張り巡らされ、水面にはネットが張ってある。かつて「洗い場」だったということは、地域の集会場みたいなところであったのではないだろうか。それが今では、何となく物々しい感じがした。

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# by ebara_explorer | 2008-12-25 18:26 | 水辺

大井の井

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 大井の来迎院から住宅地の中の細い道を少し北へ向かって行くと、光福寺という寺がある。創建は延暦元年(782)と伝える古刹だが、ここには大井の井なるものがある。

 境内の案内板によれば、これは大井の地名のもとになった井戸であるという。親鸞聖人門下の関東六老僧の一人である了海上人が産湯として使った井戸とされる。

 寺伝によると、了海上人の父が子授けを蔵王権現に祈願したところ、妻が懐妊し男子を出産したそうである。これが後の了海上人である。そのとき、この寺の境内に泉が湧き出したので、それを産湯として使い、大井と名付けたということだ。この井戸からは今でも水が湧き出しているという。

 これもまた、荏原における水の信仰の一つと言えるのではないだろうか。特に大井という地名のもとになっているということからも、重要である。また、この光福寺の山号も「大井山」となっている。尚、寺の名を光福寺と改めたのは了海上人であり、そのときから浄土真宗になっている。

 それから光福寺の境内には、大きなイチョウの木がある。高さ30メートル、幹の周囲6.4メートルで、樹齢は八百年というから、大井の井の話が生まれた頃までさかのぼる木であると言える。かつては海上を行く船が目印にしていたというから、ずいぶん遠くからも見えたのだろう。だが、今は都会の建物の中に埋もれて、海から望むことはきっとできないと思う。



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# by ebara_explorer | 2008-12-18 18:47 | 水辺

来迎院石造念仏講供養塔

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 大井の水神社の前の道を西へ向かい、線路下のガードをくぐって坂を上って行くと、左手に来迎院という寺がある。その入り口から道路を挟んだ反対側に、石仏や石塔を納めた堂が三つ並んでいる。来迎院石造念仏講供養塔として、品川区の史跡に登録されているものだ。もともとは来迎院の境内にあったそうだが、道路が拡張されたために今は境内の外へ出る形となっている。

 念仏講供養塔とされるのは、一番右側の堂内にある地蔵菩薩像二基と、堂の外にある笠塔婆である。地蔵菩薩像は明暦二年(1657)と万治二年(1659)の造立だそうだ。いずれも江戸時代初期のものである。

 地蔵菩薩像と念仏講というと、何となく結び付かないが、そのとなりの笠塔婆を見ると「南無阿弥陀仏」と大きく書かれており、一見して念仏講のものとわかる。いずれも大井村の念仏講が建立したものだという。

 ここは品川と池上本門寺を結ぶ池上道(現在の池上通り)から少し入ったところである。だから、この辺りは日蓮宗の影響が強いのではないかと思っていたが、念仏講の熱心な信仰があったようである。また、来迎院の境内にあったということから、来迎院は浄土宗か浄土真宗の寺かと思ったが、今は天台宗の名を掲げる寺院であった。

 念仏講供養塔の他にも、ここには二つの堂がある。一番左側の堂には石仏三体と石塔一基が納められ、また中央の堂には庚申塔二基と、不動明王像一体が納められていた。庚申塔はいずれも、延宝(1673-1681)の年号を持つものであった。念仏講供養塔より少し時代が下るものであるが、当時の信仰を伝えるものとしてまた貴重なものであると思う。

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# by ebara_explorer | 2008-12-16 15:56 | 石造物