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馬込八幡神社

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 馬込八幡神社は、木の鳥居のある古風な八幡神社であった。鳥居をくぐると、荏原の八幡神社にしては珍しく門があった。その先の参道には古めかしい石燈籠や狛犬が並んでいた。狛犬には慶応元年(1865)の銘が看て取れた。
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 朱塗りの社殿はまだきれいで、新しいようであった。お参りをしてから境内に由緒書きを探したが、そういった案内板は何もなかった。目黒区や世田谷区だと、寺や神社のいわれそのものを記した案内板が立っているのだが、大田区教育委員会は文化財の案内板しか立てていない。それが少し残念である。

 社殿の左手奥には、祠がいくつも並んでいた。合祀された神々であろう。ちょうど八幡さまの大きな社殿に隠れるようにして朱の鳥居があり、お稲荷様もいらっしゃった。子育稲荷とあった。祠の中でも一番小さなものであった。
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 境内を出ると、すぐとなりに寺があった。神社とまさに軒を接している。かつては八幡神社の別当寺であっただろう。門前には庚申塔があった。三体あったが、一体は欠損がひどかった。残りの二体のうち、中央の大きな像には延宝五年(1677)の、右の像には寛政元年(1789)の年号が読み取れた。中央の像で面白かったのは、上部の左右に刻まれている日と月が、青面金剛の手のひらに載っていることである。このような青面金剛は初めて見た。
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 参道を進んで寺の境内に行ってみた。長遠寺という真言宗の寺であった。どっしりとした本堂がある。十一面観世音菩薩像の案内板があった。上大崎の光雲寺にあったものが、明治になって当寺へ移されたのだという。これだけでは、寺の由緒はわからなかった。

 本堂の裏手は墓地だが、西の空が広く開けていて、気持ちの良いところだった。また、参道の脇には古めかしい石仏がいくつも並んでいた。塀を一枚隔てれば八幡神社の社殿の軒下である。それから、門のすぐ脇に立派な枝垂桜があった、春にもう一度訪れてみたくなる寺であった。

 後で調べてみると、馬込八幡神社は、社伝によれば馬込松原の里に住む源氏ゆかりの土豪、渡辺対馬守正久が建久五年(1194)に男山八幡宮を勧請したのに始まるということであった。かなり古い由緒をもつ八幡神社であった。こうした由緒の書かれた案内板を、境内の隅にでも立ててくれるとありがたいものである。



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by ebara_explorer | 2007-12-28 11:35 | 八幡宮めぐり
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