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古川薬師

 六郷に宝幢院という真言宗の古刹がある。今は街中のごくありふれたお寺であるが、かつてはこの寺が境内一万五千坪を有した大きな寺であったという。また、末寺は二十三もあったそうだ。あの池上本門寺が法華経の字数に合わせて七万坪の寺域を寄進されたというからそれには及ばないが、かなり広い寺であったと言える。荏原の中でも有数の寺院ではないだろうか。その宝幢院を現在訪れてみると、きれいなコンクリートの本堂が建っていた。
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 さて、この宝幢院の末寺の一つに古川薬師こと安養寺という寺がある。宝幢院から程近いところにあるので訪れてみた。多摩川河川敷のすぐそばである。こちらの寺もかつては広い寺域を有していたようだが、近代になって多摩川の大改修があったときにそのほとんどが河川敷となってしまったそうである。
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 寺の入口に道標が立っていた。案内板によれば「古川薬師道 道標」と名付けられている。延宝元年(1764)に建てられたものだそうだ。もとは東海道筋の雑色から多摩川への道が分岐するところに建てられていたという。正面には「これよりふるかはやくしえのみち 六郷之内古川村 別当安養寺」とあり、左側面にも同じく「これよりふるかはやくしへのみち」とあるのが読み取れた。東海道筋に建てられた道標としては、大田区内には二基しか残っておらず、そのうちの一基がこれだということである。東海道筋の道標ということで、何となく格が高いような気がした。また、江戸時代には古川薬師へ参詣する人の多かったことが窺える。
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 境内に入ると正面に朱塗りの本堂が見えてくる。寺伝によると、この寺は薬師堂を行基が創建し、また寺の七堂伽藍は光明皇后によって寄進されたものだという。また、薬師堂にある木造薬師如来坐像・釈迦如来坐像・阿弥陀如来坐像は平安時代後期の12世紀に製作されたものといわれている。古い由緒をもつ寺である。残念ながら、薬師如来坐像などは非公開である。この三尊以外にも、江戸時代に作られた仏像群三十五体が本堂と薬師堂には安置されているという。
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 境内には銀杏の木が二本ある。そしてその下には「銀杏折取禁制碑」という碑が建っていた。古くからこの銀杏に祈ると乳が出ると人々が信じ、銀杏の下垂の乳部を削り取る者が多かったそうだ。そこで寺が元禄三年(1690)にこの行為を禁ずるために建てたという。碑には「禁制 此二本之銀杏乳削取事 枝葉猥折取事」とあった。現在の銀杏の木は、その子孫であるようだが、訪れた頃はちょうどほんのりと色付き始めたところであった。
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 また、境内隅には山の形をした富士講碑があった。これにはおびただしい数の富士講の名とその紋が刻まれていた。見ていくと、それぞれの富士講には江戸近郷近在各所の地名が刻まれていた。案内板によれば、背後の銘文から、ここに刻まれている富士講はこの安養寺の永代百味供物講社を兼ねていることがわかるという。永代百味供物講とは、薬師堂で行われる行事のことだそうである。富士講がこの薬師堂の行事にも参詣する講になっていたは興味深いことである。
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 古川薬師では、様々な信仰の在り方を見ることができた。



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by ebara_explorer | 2008-01-31 21:48 | 寺院
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