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磐井神社

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 京浜急行大森海岸駅近くに磐井神社という社がある。電車の車窓からも良く見えて、気になる神社ではあった。

 この磐井神社は鈴ヶ森八幡宮とも呼ばれた。今でも社の南側を東西に走る通りを八幡通りという。ということはこの社も、私の八幡宮めぐりの一つに加えなければならないということである。

 社伝によれば、創祀は敏達天皇二年(573)八月であるという。また、境内の案内板によると『三代実録』の貞観八年(859)に「武蔵国従五位下磐井神社官社に列す」とあるそうで、また武蔵国の八幡社の総社に定めたという。他に「延喜式神明帳」にもその名があるそうだ。

 かなり古い由緒をもつ社であることがわかるが、荏原の他の八幡宮と比べてみると格段に歴史を遡るものである。他の八幡宮が、平安時代中期以降宇佐八幡宮や鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請したものであることを考えると、果たしてこの神社だけがそんなに古くから八幡宮として存在したのかどうか、疑問の残るところである。

 時代は下って戦国時代の永正年中(1504~1521)に兵火で焼失したそうだが、江戸時代になると徳川家将軍の参詣の記録があるようだ。享保十年(1725)には徳川吉宗による造営があったことも知られている。

 そうした由緒のある磐井神社であるが、現在の境内を訪れてみると、第一京浜国道と京浜急行の高架線に挟まれて、小ぢんまりとした感じだ。また、車の往来はもちろん、電車も頻繁に通り、なかなか騒々しい場所である。

 社殿の北側には稲荷神社、南側には弁財天が鎮座していた。

 お稲荷様は海豊稲荷神社という名であった。境内が海に近かったことを窺わせるものである。
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 弁財天は笠島弁財天という。万葉集に「草陰の荒藺の崎の笠島を見つつ君が山路越ゆらむ」という歌があるが、ここに出てくる笠島がこの弁財天のことを指しているという説もあるそうだ。今は池の中島に小さな祠が祀られているだけで、ひっそりとしている。かつては海に近かっただろうから、この弁財天も海の神として祀られたものであろうか。
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 神社には他に、非公開であるが、鈴石・烏石という石があるそうだ。鈴石は打つと鈴のような音がしたことからこの名があり、鈴ヶ森の地名の由来となったと伝えられるものであるが、社伝によれば延暦年間(782~806)に武蔵国司であった石川氏が寄進したもので、神功皇后ゆかりの石であるとされている。これまた古い話である。烏石の方は、烏の模様が浮き出た自然石で、江戸時代の書家松下烏石が寄進したものだそうだ。

 また、境内を出た歩道のところに「磐井の井戸」というものがある。もともと境内にあったものだが、第一京浜国道が拡幅した際に、境域が狭められ、境内から出る形になってしまったのだという。これは古い井戸で、かつては東海道の旅人に利用され、霊水、薬水と称され古来有名だったそうである。土地の人々によれば、この井戸水を飲んだとき、心が正しければ清水、心が邪ならば塩水になるとの言い伝えがあるそうだ。井戸が神社の名前の由来にもなっているから、弁財天と合わせてこの社は水辺の神であるとも言えるだろう。

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by ebara_explorer | 2008-11-30 17:01 | 八幡宮めぐり
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